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1分間最強を決める格闘技イベント「ブレイキングダウン」の、大宮喧嘩自慢・フェザー級代表のメカ君。
そのメカ君は“ブチギレレジェンド”と呼ばれており、その戦いぶりに注目が集まっていますが、彼の過去には想像以上にリアルで切実な物語があります。
そこで今回の記事では、
・メカ君のぼったくりバー経営
・メカ君のフィリピン強制送還
の3つのポイントに沿って、メカ君の壮絶な人生について、詳しくご紹介していきたいと思います。
メカ君の生い立ちが壮絶!
幼少期の家庭環境

メカ君の本名は「女鹿口直人(めかぐち・なおと)」さんといい、1996年生まれの今年28歳で、東京都板橋区生まれの埼玉県上尾市育ちです。
メカ君は日本人の父親とフィリピン人の母親を持つハーフで、両親は彼がまだ幼い頃にDVが原因で離婚し、その後、埼玉県上尾市に移り住みました。
そんなメカ君はハーフで母子家庭に育っており、人見知りの性格から周りとコミュニケーションが取れず、幼少期はいじめられっ子だったそうです。
具体的には、保育園の時にプールで3人がかりで水の中に頭をつけられたり、小学5年生の時には牛乳をぶっかけられ、その時に我慢の限界が来て初めていじめっ子と喧嘩をしています。
メカ君が6歳の頃、母親はフィリピンパブで働いており、ビザの問題で強制送還の危機に直面し、メカ君も一緒に逃げ出したことがあるという。
その時期に、母親が在留資格を得るために、店の常連客の日本人男性と再婚したことで、姓が「女鹿口」に変わりました。
当時、メカ君は母親、義父、義父の連れ子の4人で暮らしていましたが、兄弟関係は悪く、家庭内での孤独感や疎外感が強まっていったそうです。
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非行の時代

そして、彼は小学5年生の時に、いじめっ子に勝ったのをきっかけに暴力に目覚め、中学・高校では暴走族として喧嘩に明け暮れる日々を送り、地元・上尾で「喧嘩最強」と呼ばれる存在にまでのし上がりました。
それでもメカ君は、上尾市立大石中学校を経て、埼玉県立熊谷工業高校を卒業しており、中学・高校時代にはバスケットボールに励み、中学3年生の時には全国大会で優勝を経験しています。
10代に入ると喧嘩のスイッチが入ると頭が真っ白になり、殴り続けたり度を過ぎることもあり、高校時代には傷害で鑑別所に入ったこともあるとか。
その時は、100人対20人の抗争が起き、20人側だったメカ君たちはボコボコにされ、悔し過ぎて相手の溜り場に乗り込んだら、相手が被害届を出したため逮捕されたということです。
この頃の経験がメカ君の格闘技への道が開いており、メカ君は「飛車角道場」の城東支部に所属し、地下格闘技イベント「路地裏喧嘩劇場 飛車角」で活躍しています。
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メカ君のぼったくりバー経営の真相は?

メカ君は高校卒業後、義父が経営する土木会社に就職しましたが、義父や義兄弟からのいじめに耐え切れず退職を決意し、貯金300万円を手に、東京・歌舞伎町へと向かいました。
当初は、バーでスタッフとして働いていましたが、1年ほど経った頃「オーナーにならないか?」と声を掛けられ、そこから”ぼったくりバー”の経営を始めることになります。
彼は集客手段として出会い系アプリを活用し、男性客を呼び込み、「TAX20%」「テキーラ3000円」など、一般的なバーに比べると、割高な価格を設定していました。
しかし、料金は全てメニューに明記しており、会計前には「現在、このくらいの金額になっていますが大丈夫ですか?」と確認するなど、トラブルを未然に防ぐ配慮もしていたという。
いわば、”揉めないぼったくりバー”という位置づけでした。
しかし、その後、歌舞伎町には同様のスタイルの店舗が急増し、摘発や通報が相次ぐようになったため、こうした状況を受け、メカ君はリスクを避けるために、自身の店を閉める決断を下しました。
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メカ君は過去にフィリピン強制送還寸前!?

メカ君の「フィリピン強制送還寸前」というエピソードは、彼の人生の中でも特に緊迫した局面の1つでした。
■傷害事件とフィリピン強制送還寸前
ぼったくりバーを経営していた彼が、その道を断念するきっかけとなったのが、信頼していた従業員に店の売上金300万円を持ち逃げされた事件でした。
彼は怒りに任せて従業員を見つけ出し、暴力を振るってしまったことで、傷害の容疑で逮捕・起訴されたました。
さらにその従業員は反社会的勢力との繋がりや、薬物の持ち逃げといった背景があり、事件はさらに複雑化することに。
メカ君は留置所や拘置所を経て、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けることになりました。
ところが、彼は当時もフィリピン国籍のままで、刑の言い渡し後、入国管理局に収容されており、「このままでは国外退去処分になる」という状況に直面しました。
ですが、幼少期から日本で育ち、日本社会に根を張って生きてきた経緯が認められ、弁護士の支援のもとビザを取得することができ、なんとか強制送還を逃れ、執行猶予付きで入管から釈放されることになりました。
この経験は彼の心に深く刻まれ、「もう二度と過ちを繰り返さない」と決意を固め、かつての交友関係を断ち切り、地元・上尾に戻って再出発を図ることになります。
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■夜逃げ屋と運び屋の二重生活
しかし、背負っていた借金は約500万円で、派遣社員としての月収では返済が追い付かず、苦境の中で始めたのが”夜逃げ専門”の引っ越し業でした。
さらに、一時期、薬物や銃の運び屋として、1回の仕事で100万円を稼いでいたとも語られています。
■道連れ逮捕と転機
そんな中で、仕事に関わった顧客が、コロナ禍の持続化給付金詐欺および大麻所持の疑いで逮捕され、執行猶予中だったメカ君自身も、共同所持の疑いで逮捕される事態に。
幸いなことに約20日間の拘留の末に、不起訴となり釈放されました。
この一件をきっかけに、メカ君は「お天道様は見てる。悪いことをすれば必ず捕まる」という強い実感を持ち、人生を根本から改めることを決意。
現在では、地元で真面目なバーの経営に取り組み、過去を悔いながら新たな道を歩んでいます。
いかがでしたでしょうか?
メカ君の今後の活躍を引き続き注目していきたいと思います。