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コンクリート詰めにした遺体を、大阪府八尾市の住宅に遺棄したとして、死体遺棄容疑で逮捕された飯森憲幸容疑者。
飯森憲幸容疑者は「(姉の娘が)言うことを聞かず躾で叩いた。朝起きたら冷たくなっていた。」と供述しています。
そんな飯森憲幸容疑者の姉や彼の自宅住所と家族、さらには経歴や生い立ちについて、世間の人々が興味を示しています。
そこで今回の記事では、
・飯森憲幸の自宅住所、家族
・飯森憲幸の経歴、生い立ち
の3つのポイントに沿って、飯森憲幸容疑者について詳しくご紹介したいと思います。
飯森憲幸の姉はどこに!?

飯森憲幸容疑者の姉については、現在の状況は明確に分かっておらず、恐らく彼の姉は失踪していて、行方が分からない状況とのことです。
司法解剖で遺体を詳しく調べたところ、6~7歳の女児で、2007年頃に死亡したと推定されることが分かっています。
その当時は、飯森憲幸容疑者と母親が同居し、別の場所で姉と姉の娘と父親が同居していましたが、姉が帰って来なくなったため、飯森憲幸容疑者が娘を預かっていました。
そして、飯森憲幸容疑者は「姉の娘が言うことを聞かず躾で叩いた。泣きじゃくっていたがそのまま寝た。朝起きたら冷たくなっていた。」と説明しています。
彼はそのことを父親に相談したところ「コンクリート詰めにしよう」と提案され、2人でコンクリート詰めにしたという。
飯森憲幸容疑者の父親は80代で、遺体が見つかった住宅を昨年11月に退去し、現在は施設に入居していますが、警察は何らかの事情を知っているとみて慎重に調べています。
また、彼が以前同居していた母親については、詳細な情報は明らかになっていませんでした。
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飯森憲幸の自宅住所や家族は?

出典元:X
飯森憲幸容疑者の自宅住所は大阪市平野区喜連7丁目で、そこに逮捕されるまで40代の内縁の妻と、高齢女性と3人で暮らしていました。
この高齢女性が飯森憲幸容疑者の母親なのか、内縁の妻の母親なのかは確かな情報はありませんでした。
この3人が住み始めたのは2、3年前からで、3人は家に居るようではあるものの、何の物音もしないほど静かに暮らしていたという。
近隣住民の話では、飯森憲幸容疑者はよく廊下でタバコを吸っていたぐらいで、評判は悪くはなく、市営住宅の大掃除には3人で参加していたそうです。
しかし、もともとそこには60代位の女性が1人で入居していると申請されているそうで、飯森憲幸容疑者と内縁の妻が暮らしていたことは、余り知られていなかったとのことです。
飯森憲幸容疑者の内縁の妻は、任意の聴取に対して「昨年11月頃に、彼に衣装ケースの運搬を頼まれて一緒に運んだが、何が入っているかは分からなかった。」と供述しています。
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飯森憲幸の経歴や生い立ちの真相!

飯森憲幸容疑者について、詳しい経歴や生い立ちについては情報が限られており、職業に就いては逮捕時は無職と報じられています。
飯森憲幸容疑者は現在41歳で、大阪府八尾市で生まれ育ち、両親と姉の4人家族で暮らしていました。
いつからかは不明ですが、飯森憲幸容疑者と母親、父親と姉が別々で暮らしていましたが、十数年前に姉が失踪したため彼は姉の娘を預かることに。
そして、2025年2月25日に大阪府八尾市の集合住宅で発覚した、コンクリート詰め死体遺棄事件に関与したとして逮捕されました。
飯森憲幸容疑者は事件発覚前は、大阪市平野区喜連の市営住宅で生活しており、無職であったと報じられています。
飯森憲幸容疑者の生い立ちや家庭環境については、まだ、多くの詳細が明らかにされていませんが、事件の背景には複雑な家族関係が影響していると推測されます。
今後、飯森憲幸容疑者の経歴や生い立ちの詳細が判明しましたら、また、お伝えしたいと思います。