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“リーゼント刑事”の愛称で広く知られる、元警察官の秋山博康(あきやま・ひろやす)さん。
秋山博康さんは、徳島県警察本部捜査第一課で長年にわたり重大犯罪の捜査に従事し、多くの困難な事件を解決してきました。
そんな秋山博康さんの若い頃の武勇伝や家族、矢沢永吉さんへの情熱について、多くの人々が関心を寄せています。
そこで今回の記事では、
・秋山博康の妻、子供
・秋山博康の矢沢永吉愛とリーゼント
の3つのポイントに沿って、秋山博康さんの若い頃について詳しく見ていきたいと思います。
秋山博康の若い頃の武勇伝!
秋山博康さんの若い頃には、数々の武勇伝があります。
武勇伝②:柔道と生徒会長
武勇伝③:腐敗汁で一張羅スーツが台無し
武勇伝④:暴走族の20対20の抗争を1人で解決
武勇伝⑤:銭湯に“〇〇署刑事課秋山”と書いた洗面器を置いた
武勇伝⑥:辞令発布にワインレッドのシャツ
武勇伝⑦:取り調べでの情熱
それでは、秋山博康さんの若い頃の武勇伝について、それぞれ詳しく見ていきたいと思います。
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武勇伝①:10歳で山籠もり修業
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の1つ目は、10歳で山籠もり修業をしていたことです。
この修業は、極真空手の主宰者である大山倍達の『空手バカ一代』に影響を受けたものでした。
彼は、実家から数キロ離れた山の中腹にある神社に小さなテントを張って、1人で山籠もりをしていました。
毎朝5時に起床し、坂道ダッシュや神社の階段を何十往復もするトレーニングを行い、さらに正拳就きと蹴りを千本ずつ行い、蹴りの練習には鉄下駄を履いてやっていたそうです。
この修業は1週間続き、父親が毎日実家からおにぎりを持ってきてくれ、その様子を夏休みの宿題で絵日記に書いたところ、小学校の校長室に呼び出され叱責されたというエピソードがあります。
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武勇伝②:柔道と生徒会長
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の2つ目は、柔道の取り組みと生徒会長を務めたことです。
彼は高校時代に柔道の打ち込み、柔道の大会で数々の優勝を果たし、その実力は周囲からも高く評価されていました。
さらに、秋山博康さんは高校時代に生徒会長を務めており、先輩や暴走族から目を付けられていましたが、ブドウの演武を披露し、気合の入った大声で威圧することで一目置かれる存在となり、闘わずして勝利を収めることが出来たとのことです。
武勇伝③:腐敗汁で一張羅スーツが台無し
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の3つ目は、腐敗汁で一張羅のスーツを台無しにしたことです。
彼の刑事としての初仕事は海に浮かんだ水死体の引き上げで、ストレッチャーの載せて運ぶ際、水死体が落ちそうになりました。
秋山博康さんは咄嗟に体で止めようとした結果、腐敗した汁を全身に浴びてしまい、一張羅のスーツが台無しになるというエピソードがあります。
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武勇伝④:暴走族の20対20の抗争を1人で解決
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の4つ目は、暴走族の20対20の抗争を1人で解決したという伝説的なエピソードがあります。
徳島県内で暴走族同士の抗争が激化し、20人対20人の大規模な衝突が起きた際、秋山博康さんは現場に駆け付け、1人で暴走族のリーダーたちと対峙して説得しました。
その結果、暴走族たちは殺人未遂や傷害などで全員逮捕となり、秋山博康さんが解散式を行っており、その噂が県内の暴走族に広がり、その後は抗争が0になたそうです。
さらに、秋山博康さんは親子2代に渡って暴走族を解散、更迭させたこともあり、解散後も彼を慕う元メンバーも多く、結婚式に招待されることもあるとのことです。
武勇伝⑤:銭湯に“〇〇署刑事課秋山”と書いた洗面器を置いた
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の5つ目は、銭湯に“〇〇署刑事課秋山”と書いた洗面器を置いてきたことです。
秋山博康さんの行きつけの銭湯の脱衣所には、“〇〇組××”と名前が書かれた洗面器がずらりと並んでいたそうです。
彼はそれらを全て捨て、代わりに“〇〇署刑事課秋山”と書かれた洗面器を置いたところ、それ以来、組員たちは姿を見せなくなったとか。
マル暴の刑事に聞いたところ、組員の間で「何をするか分からない危ない刑事が異動してきた」と評判になっていたとのことです。
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武勇伝⑥:辞令発布にワインレッドのシャツ
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の6つ目は、辞令発布にワインレッドのシャツで出席したことです。
警視庁での辞令発布の際、他の捜査員が白シャツに紺スーツを着ていた中、彼はワインレッドのシャツに黒スーツで登庁しました。
そのため、管理官から「着替えてこい!」と厳しく叱責され、部内報の『捜査一課だより』には「出向者でふしだらな服装の者がいた」と書かれたエピソードがあります。
武勇伝⑦:取り調べでの情熱
秋山博康さんの若い頃の武勇伝の7つ目は、取り調べでの情熱です。
彼は取り調べの際には、被疑者の生まれ故郷を訪れ、実家から小学校までの道のりを歩き、被疑者が子供の頃に立ち寄った店や公園にも足を運んでいました。
取調室でその話をすると、被疑者は子供の頃を思い出し、やがて涙を流して「すみませんでした」と心を開いていったとのことです。
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秋山博康は妻や子供はいる!?
秋山博康さんは看護師の妻と再婚し、子供については息子がいる可能性が高いです。
秋山博康さんの最初の妻については詳細な情報は公開されていませんでしたが、離婚の原因は彼にあったそうで、仕事で家に帰れず、すれ違いが生じたことのようです。
現在の妻とは仕事を通じて知り合い、彼が一目惚れをして、名刺に自分の携帯番号を書いて渡したそうです。
その1か月後に妻から連絡があり、初デートをすることになり、その時に秋山博康さんがプロポーズしましたが、妻から返事は「戸籍謄本を持ってきてください」だったとか。
それから、2人は2ヵ月後に結婚し、現在、結婚18年目になるとのことです。
また、秋山博康さんには息子がいるとの情報がありますが、家族のプライバシーの観点から、家族の写真や詳細な情報は公に知らされていませんでした。
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秋山博康の矢沢永吉愛とリーゼントの秘話!
秋山博康さんの矢沢永吉さんへの愛とリーゼントの秘話は、彼の人生において欠かせない要素で、リーゼントという独特の髪型も、矢沢永吉さんへの憧れから生まれたものです。
秋山博康さんは、14歳の時にラジオで矢沢永吉さんの歌を初めて聞き、その瞬間にファンになり、翌日にはレコードを買いに行ったそうです。
高校時代には矢沢永吉さんのスタイルに影響を受けてリーゼントにすると、警察学校時代を除いてそのスタイルを通してきました。
そのおかげで、秋山博康さんは容疑者に間違えられたこともあり、リーゼントで強面だった事件の容疑者を目撃した同僚から「秋山がやりよったぞ」と疑われ、警察無線には「容疑者は秋山に酷似」と伝えられたことがあるとか。
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また、秋山博康さんが原子力空母反対デモの警備をしていた際、全国から右翼車両が集結したそうで、トイレで用を足していると、隣にいた右翼の構成員が「どちらの右翼部隊ですか?」と真剣に尋ねてきたそうです。
秋山博康さん「ワシは警察じゃ、アホ!」と怒鳴り返したこともあると言います。
他にも、事件の聞き込みで民家を回ると、小学生の子供が彼の顔を見て泣き出したり、容疑者を逮捕して署に連行した時には、新聞記者に凶悪犯と勘違いされて写真に撮られたこともあるという。
さらには、防犯のために街で不良少年に声を掛けたところ、住民に「ヤクザが若者に因縁つけてる」と通報されたこともあるとのことです。
そんな秋山博康さんの若き日々には、矢沢永吉さんの音楽が常に流れており、その影響は彼の生き方や信念にも深く刻まれています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな秋山博康さんを、引き続き注目していきたいと思います。