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千葉最強のギャンググループ「KGB」の最高幹部を務め、“人刺しの裕”と恐れられた内藤裕(ゆたか)さん。
内藤裕さんの若き日は、暴力と抗争の世界に生きながら、彼の人生は格闘技の舞台へと転じていきました。
そこで今回の記事では、
・内藤裕のアウトサイダー時代
・内藤裕と瓜田純士の事件
の3つのポイントに沿って、内藤裕さんの激動の人生に迫ってみたいと思います。
内藤裕の若い頃はKGB幹部!

内藤裕さんは現在48歳になりますが、彼の若い頃は、千葉のギャンググループ「KGB」の最高幹部として活動していた時期が、特に注目されています。
KGBの幹部だった内藤裕さんは、かつて「人刺しの裕」という異名で呼ばれ、関東最強ギャングの最高幹部として知られていました。
「KGB(キング・オブ・ギャング・ボーイズ)」は、1990年代初めから半ばにかけて、東京や千葉を中心に活動した伝説的なチーマーグループです。
もともとは亀有の高校に通っていた不良少年グループが、千葉県津田沼や柏市の不良グループと合流し、共闘体制を敷いたことが結成にきっかけだという。
KGBは武闘派の集団として知られ、当時の不良少年たちに恐れられる存在で、全盛期には関東連合グループも含めると、1000人以上の構成員がいたとも言われています。
また、歴代のリーダーには、古谷もりひろ、矢尻哲郎などが名を連ねており、3代目の総長に矢尻哲郎が就任した際、内藤裕さんは幹部として支え、千葉・東京・埼玉を支配しました。
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内藤裕さんは「人刺しの裕」の異名通り、他グループとの逃走中に刃物を使用して躊躇なく人を刺し、KGBの中でも特に過激な行動を取る人物の1人とされ、喧嘩の強さとその影響力でグループ内でも重要な立場にあったという。
そんな内藤裕さんは、30対1の激しい抗争の中でも、相手を次々と倒して逃げ切ったという伝説を持ち、その過激な喧嘩スタイルが影響し、少年院に3度収容された経験があります。
内藤裕さんは、KGBの初代から3代目まで在籍しており、幹部としてグループの運営や抗争に関与していたされています。
彼は、中学時代からの兄貴分である矢尻哲郎さんと深い絆で結ばれており、成人後も行動を共にし、矢尻哲郎さんへの尊敬の証として、名前の刺青を彫るほど慕っているという。
一方の矢尻哲郎さんはKGBを卒業した後、山口組國領屋一家系松一会と杯を交わし、ヤクザの道へ進んだとのことです。
現在、KGBは消滅しているとされていますが、その影響はアウトロー文化や格闘技界に残っているようです。
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内藤裕のアウトサイダー時代の戦績は?

出典元:gbring.com
かつてKGBの最高幹部として活動した内藤裕さんは、アウトローの世界から抜け出し、格闘技を通じて新たな道を切り開くことを決意しました。
彼は、2009年に前田明さんがプロデュースする「THE OUTSIDER」に初参戦し、格闘技の世界へと足を踏み入れました。
内藤裕さんは「関東伝説チーマー元KGB幹部 千葉鬼夜叉」として紹介され、驚異的なスピードを誇る出打撃を武器に戦いました。
内藤裕さんの「THE OUTSIDER」の戦績は、以下のものが確認されています。
・渋谷莉孔との試合:判定勝ち
・釜石ガッツメンズとの試合:判定負け
・安部充郎との試合:KO勝利
近年、内藤裕さんはアルコール依存に陥り、膵炎を5回発症し、医師から「あと1ヶ月の命」と宣告され、人生を諦めるほどの状況でした。
しかし、彼は「格闘技しかない」と決意し復活を遂げ、「Breaking Down16」のオーディションにも参戦し、オーディションで衝撃的なKO勝利を収めるなど、格闘技界でも話題となりました。
内藤裕さんの格闘技への転身は、アウトローからの再生を象徴するものであり、現在もその影響力を持ち続けています。
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内藤裕と瓜田純士の事件の真相に迫る

内藤裕さんと瓜田純士さんは、過去に千葉市内で起きた路上刺傷事件に関与していたとされ、両者は同じ現場で負傷したことがあるようです。
2人は2013年10月14日に、千葉県千葉市美浜区の駐車場で発生した、路上刺傷事件に巻き込まれました。
この事件では両者とも刃物で刺されて重傷を負い、内藤裕さんは首を刺され、3日間意識不明となるほど深刻な状況だったという。
事件の背景については、突発的なものではなく、計画的に起きた可能性があると、瓜田純士さんが述べています。
瓜田純士さんによると、犯人はもともと2人ではなく、彼らと一緒にいた別の人物を狙っていたとのことですが、内藤裕さんと瓜田純士さんがその人物を守ろうとした結果、刺される事態になったようです。
事件当時、内藤裕さんは相手をパンチで倒した後、のしかかろうとした際に刺されました。
瓜田純士さんは駐車場の隅で様子を見ていたところ、刃物を持った男が内藤裕さんに向かっていくのを目撃し、止めようと飛び掛かった結果、腹部や肩など計五ヵ所を刺されることになりました。
事件後、警察から訴えろと言われたものの、内藤裕さんはこれを拒否し、「こちらも殴ったのだから痛み分け」として、被害届を出さなかったと語っています。
この事件を通じて、内藤裕さんと瓜田純士さんの関係はより深まったようで、瓜田さんは「兄貴(内藤さん)が死ぬかと思った」と語り、血まみれになりながら内藤裕さんを抱きしめて、介抱したとされています。
また、内藤裕さんは「23人分の輸血を受けた」と話し、命の危機を乗り越えたことを振り返っていました。
この事件は、彼らの過去のアウトロー時代の象徴的な出来事の1つであり、現在の彼らの生き方にも影響を与えています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな内藤裕さんを、引き続き注目していきたいと思います。