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映画やテレビドラマ、舞台など幅広く活躍している俳優の古原靖久(ふるはら・やすひさ)さん。
その古原靖久さんには、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去があります。
そんな古原靖久さんにはどんな生い立ちがあるのでしょうか?
の3つのポイントに沿って、古原靖久さんについてご紹介したいと思います。
古原靖久さんの生い立ちは非常に壮絶で、彼は幼少期から両親と離れて児童養護施設で育ちました。
古原靖久さんは1986年8月に京都府に生まれで、母親が16歳の時に彼を出産し、19歳の時に離婚しています。
古原靖久さんは両親の離婚で母子家庭となり、生活困窮の末、5歳から18歳まで児童養護施設で育ちました。
その児童養護施設では、先生から目を付けられ嫌われ、古原靖久さんだけ洗濯物は全て洗濯板で洗い、職員や先輩からは理不尽に怒られたり殴られたりしており、本来、保護される場所ですら虐待のような扱いを受けていました。
さらに、食事に時には、力のある先輩が全部取ってしまうため常に飢えており、肉を食べられず野菜だけ食べるベジタリアンのような食生活だったと言います。
古原靖久さんは当時、施設から何度も逃げ出しては、警察に保護され連れ戻されていたそうです。
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児童養護施設は18歳で卒園の規定で、卒園には進学か就職が決まっている必要があります。
しかし、進路が未定だった古原靖久さんは、「進路が未定なら、2年間住み込みで新聞配達をしなさい。」と告げられ、進学する資金もなく、新聞配達もしたくないと悩んでいました。
そんな中で古原靖久さんは、以前、街中でスカウトされたことを思い出し、祖父の紹介で芸能事務所に所属することで卒園することができました。
実は、古原靖久さんは卒園したら芸能界は辞める予定でしたが、2005年のドラマ『野ブタ。をプロデュース』のオーディションに受かってしまい、演技未経験のまま俳優デビューしたそうです。
その後も連続ドラマなどに出演し、2008年2月スタートの『炎神戦隊ゴーオンジャー』では主演を務め、現在はNHKの『あさイチ』でレポーターを担当しています。
また、古原靖久さんは児童養護施設での体験をもとに、自身のYouTubeチャンネルで社会養護の問題について発信しています。
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古原靖久さんが入所していた児童養護施設は、芸人のやす子さんと同じで、東京都杉並区にある社会福祉法人「聖友ホーム」です。
聖友ホームは、乳児院(聖友乳児院)と児童養護施設(聖友学園)を運営しており、保護者の様々な事情により家庭で養育することが困難となった子供たちを預かり、養育・養護して発達や自立を支援しています。
また、子供たちは児童福祉法に基づいて入所し、24時間施設の職員と共に暮らし、地域の幼稚園や学校に通っています。
古原靖久さんの幼少期はかなりヤンチャな子供で、当時の担当職員によると「とにかく弁が立つ、良くも悪くも」と話しています。
その一方で、古原靖久さんは当時、いじめや虐待のような扱いを受けており、当時のその児童養護施設はいかに先生に目を付けられないかが重要で、先生の指示に従う子供が生きやすい環境だったそうです。
その頃の古原靖久さんは、間違ったことや理不尽なことが嫌いで、「ごめんなさい」と謝ることができなかったため、ずっと先生たちから嫌われ続けていたと言います。
しかし、その児童養護施設は環境が改善され、そのような文化は無くなっているとのことです。
★同じ児童養護施設出身の芸人・やす子さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
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古原靖久さんの母親は4年前に亡くなり、父親は中学生の頃に会って以来ずっと会っていないそうです。
古原靖久さんはとにかく若い両親のもとに生まれ、2人とも夜の仕事をしていたため、あまり家に帰った来なかったそうで、古原靖久さんのオムツが何日も替えられていないのを、祖父が気付くほどだったと言います。
両親が離婚した後、母親が古原靖久さんを引き取り、夜の仕事をしながら育てていましたが、ひとりでの育児は困難となり、そこから児童養護施設に預けられています。
古原靖久さんの母親は最初の頃はちょこちょこ面会に来てましたが、じょじょに半年に1回から1年に1回と減っていき、小学5年生の頃には来なくなっていたそうです。
そして、2020年頃に母親の姉からDMで連絡があり、その1年前に古原靖久さんの母親は病気で亡くなっていたことが分かりました。
また、父親とは、母親と縁が切れた後の中学生の時に会っていますが、結局喧嘩になってしまい、それ以来会っていないとのことです。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される古原靖久さんを、引き続き注目していきたいと思います。