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8月10日の岸田首相の内閣改造で、第2次岸田内閣で新防衛大臣に着任した、浜田靖一(はまだ・やすかず)氏。
浜田靖一氏は、2008年~2009年にも防衛相を務めていて今回2期目となり、ウクライナ情勢や台湾情勢など、厳しい安全保障環境の中で、大きな期待が寄せられています。
そんな浜田靖一氏の父親はハマコーの愛称で親しまれた、浜田幸一(はまだ・こういち)さんだそうですね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、浜田靖一氏の父親や家族ついて、ご紹介したいと思います。
浜田靖一氏の父親は浜田幸一さんで、「ハマコー」の愛称で知られ、「国会(政界)の暴れん坊」の異名を持っていました。
ハマコーさんは、2012年8月5日に急性心不全のため、千葉県富津市の自宅にて83歳で死去しています。
ハマコーさんは、千葉県君津郡青堀町(現:富津市)の出身で、実家は大地主であり、徒歩で15分かかる青堀小学校まで他人の土地を踏まずに通学できたほどだそうです。
しかし、太平洋戦争後の混乱の中、父・甚三郎氏が賭博にのめり込み、戦後2、3年で浜田家は全ての土地を手放して没落していったそうです。
その後、ハマコーさんは、日本大学農獣医学部拓殖学科(現・生物資源科学部国際地域開発学科)に入学していますが、芸者遊びや喧嘩に明け暮れる日々を送っていたとか。
本人曰く、「合格した確かな記憶がなく、籍があったかどうかも不確かだった」そうです。
その頃、ハマコーさんは青年団活動をしており、竹下登氏や野中広務氏と出会い、君津郡連合青年団長、千葉県連合青年団長、日本青年団協議会顧問を務めていました。
政治活動では、千葉県議等を経て、1969年に自民党から旧千葉3区に出馬し初当選。
1980年には米・ラスベガスでの賭博疑惑が発覚し議員を辞職しますが、1983年に返り咲いています。
自民党副幹事長や衆院予算委員長を歴任しますが、国務大臣の任命経験が得られないまま、1993年に政界を引退しています。
政界引退後は、自称「政治活動家」として活動し、テレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』の常連出演者となり、「悪党党幹事長」と名乗っていました。
浜田靖一氏の妻(嫁)は、恵里子夫人です。
残念ながら、妻・恵里子さんの詳しいプロフィールなどは、公開されていませんでした。
浜田靖一氏は、専修大学経営学部経営学科卒業後から、父・浜田幸一氏と親しい関係があった渡辺美智雄氏の事務所に就職し秘書官を務めていますので、早い段階から政治の道を目指しています。
その過程で浜田靖一氏と恵里子夫人は結婚され、恵里子夫人はずっと浜田靖一氏を陰で支え続けていらっしゃるので、良妻賢母な方であることは間違いないですね。
浜田靖一氏には、息子と娘の2人の子供がいます。
長男の智一さんは日本大学卒業後、神奈川県の不動産会社に入社し、2008年に株式会社ハマダに入社し、ハマダ取締役となっています。
智一さんのインスタグラムによると、年齢はアラフォーだそうです。
智一さんは、ハマダ不動産開発株式会社の代表も務めています。
その株式会社ハマダは、ハマコーさんの父・甚三郎氏が、1946年(昭和21年)鉄屑業・浜田商店として開業、1983年に株式会社ハマダとして法人化し、代表取締役は浜田靖一氏の母・寿美子さんが就任していました。
主な事業内容は次の通りです。
長女の彩織さんについての情報も公開されておらず、既に結婚して姓が変わっているかもしれません。
また、情報が入りましたら、お知らせしたいと思います。
いかがでしたでしょうか?
今後益々話題となりそうな浜田靖一氏を、引き続き注目していきたいと思います。