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“パンチ弁護士”のニックネームを持つ諸橋仁智(もろはし・よしとも)さん。
諸橋仁智さんは、元ヤクザから弁護士になった異色の経歴があります。
そんな諸橋仁智さんが、どのような経緯でヤクザから弁護士になったのか気になりますね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、諸橋仁智さんについてご紹介したいと思います。
諸橋仁智さんの経歴は、弁護士、司法書士、宅地建物取引士、文筆家、そしてボクサーでもあります。
元ヤクザから弁護士になり、北千住パブリック法律事務所を経て、現在は“パンチ弁護士”として自身の「諸橋法律事務所」を開業しています。
諸橋仁智さんが“パンチ弁護士”と呼ばれる理由は、もともとパンチパーマだったからだとか。
また、東京弁護士会では刑事弁護委員会委員も務めています。
後述しますが、薬物で精神病院に入院していた時、“暇つぶし”で宅建(合格率15%)の勉強を始め、1年半で合格したそうです。
諸橋仁智さんは宅建の資格を取得後、1度不動産会社で勤務しますが、会社に合わず3~4ヶ月で辞めています。
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諸橋仁智さんの学歴は、福島県立磐城高等学校(偏差値68)を卒業し、2浪の末、成蹊大学(偏差値55~70)へ進学しますが、3年生の途中で大学を中退しています。
諸橋仁智さんの実家は普通の家庭ですが、中学生の時に父親が亡くなっており、その頃からグレ始めますが「勉強はできた。成績は良かった」と言います。
しかし、大学受験に失敗し、予備校時代に他の予備校生から薬物を誘われたのをきっかけに、密売にも関わるようになります。
その後、マージャン店で知り合った、暴力団組員の兄貴と行動を共にするようになり、21歳で大学を中退し組織に入っています。
諸橋仁智さんは、2次団体の組長のカバン持ちを任され、街を肩で風を切って歩き「この道で生きていく」と思っていたとか。
そして、28歳の時に薬物使用状態でトラブルを起こして警察に保護され、精神病院に強制入院させられた上に、入院中に組織から「破門」を言い渡されます。
諸橋仁智さんは「自分なりに組織に貢献してると思っていたのでショックだった」と語っています。
精神病院を退院した諸橋仁智さんは、2005年に警視庁渋谷署に覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕されます。
そして、留置場にいる時に母親が差し入れてくれた1冊の本によって、転機が訪れたそうです。
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諸橋仁智さんが弁護士になった理由は、弁護士・大平光代さんの『だから、あなたも生きぬいて』を読んで感銘をうけたからだそうです。
大平光代さんは、兵庫県西宮市の出身で、中学1年生の時に転校したのをきっかけにいじめに遭い、割腹自殺を図っています。
その後、転落の人生をたどり、16歳で暴力団の世界に入り、組の人間に認めてもらいたい一心で『観音様に蛇』の刺青を入れ、その年に組長の妻となりますが、22歳で離婚。
その後、水商売に入った時、現在の養父と再会し「今からでも遅くないから、もう一度、人生やり直してみ」と一括され、再起を決意します。
大平光代さんは猛勉強を開始し、22歳で宅建試験と司法書士試験に合格し、近畿大学法学部通信教育課程に入学し、同大学3年次で29歳の時に、最難関の司法試験に一発合格し、弁護士となっています。
諸橋仁智さんは「破門」され将来を不安視してた時に、留置場で大平光代さんの本を読んで、人生の指針になり、同じルートをとろうと思ったそうです。
大平光代さんも諸橋仁智さんも司法試験に一発合格ができるなんて、並大抵の努力ではなかったことが想像できますね。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな諸橋仁智さんを、引き続き注目していきたいと思います。