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ボーイッシュなベリーショートヘアに、朗らかな笑顔がトレードマークの、子役・村山輝星(むらやま・きらり)ちゃん。
村山輝星ちゃんは、24時間テレビでトライアスロンに挑戦し、注目を集めましたね。
そんな村山輝星さんの父親は既に亡くなっているそうですが、死因は何だったのでしょうか?
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、村山輝星さんの父親について、ご紹介したいと思います。
村山輝星ちゃんの父親の名前は、村山浩一さんです。
村山浩一さんは、元々トライアスロンの選手で、中野区のトライアスロン協会の理事を務めていた時期があり、『アトム・スイミングスクール』の経営もしていたそうです。
父・村山浩一さんは、村山輝星ちゃんが2歳の時に亡くなっています。
死因は病気だそうですが、詳しい病名などは公表されていませんでした。
しかし、村山浩一さんの画像を見ると、胸に大きな傷があることから、心臓病を患っていた可能性があります。
この画像は、父・村山浩一さんが村山輝星さんの母・紘子さんと、トライアスロンの大会に出た時のものです。
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紘子さんのシャツには、「15th ROTA BLUE TROATHLON」と、プリントされています。
2008年11月に開催された『第15回 ロタブルートライアスロン』という大会ですが、この時はまだ村山浩一さんの胸には傷がないことから、2008年以降に病気になったようです。
村山浩一さんが無くなったのが2012年であるため、4年間で病気が進行したとみられています。
闘病の時期は不明ですが、2012年4月1日開催の『第14回Lafuma青梅高水山トレイルラン』に、村山輝星ちゃんの父・村山浩一さんの名前が記載されていました。
しかし、総合順位の欄には『DNS(DO NOT START)』とあるため、エントリーはしたものの参加できなかったようですので、この頃には既に病気が進行していたのかも知れませんね。
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村山輝星ちゃんの父親・村山浩一さんは、『輝星が小学生になったら、トライアスロンに挑戦させて欲しい』という遺言を、母親の紘子さんに託しています。
父親の遺言通り、村山輝星ちゃんは3歳になる頃には自転車に乗り始め、泳ぐのが好きなことから、小学校に入学した頃から、トライアスロンの大会にも出場しています。
村山輝星ちゃんは、2018年の『オールキッズトライアスロン大会』の小学2年生の部で30名中28番、2019年の同大会の小学3年女子の部では、総合44位の成績を残しています。
トライアスロンの選手だった父・村山浩一さんの遺言を受け、村山輝星ちゃんは小学生最後となるこの夏、24時間テレビでトライアスロンに挑戦することを決意しました。
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村山輝星ちゃんは、8月27~28日放送の『24時間テレビ 45』で、生放送でトライアスロンに挑戦しています。
『人気子役・輝星ちゃん!亡き父との約束 トライアスロン51.5kmに挑戦!』と題した企画で、見事に完走しています。
村山輝星ちゃんは、オリンピック・ディスタンスと同じ、スイム(水泳)1.5km、バイク(自転車)40km、ラン10kmの3種目を連続し、計51.5kmのトライアスロン達成を目指し、数カ月前からトレーニングを重ねて来ました。
村山輝星ちゃんのYouTubeチャンネルでは、7月に沖縄の石垣島でトライアスロンのトレーニングに励む、村山輝星ちゃんを密着した動画が公開されています。
父・村山浩一さんの遺言を胸に母親と二人三脚で過ごしてきた村山輝星ちゃんは、「小学生最後の夏休みの大きな挑戦を、笑顔でやりきるために、頑張ろうと思います」と誓っていました。
また、母・紘子さんからは、「距離がどうとかじゃなくて、自分で決めた距離を達成するというのを頑張りなさい」と告げられ、ベストを尽くすことを大切にしているそうです。
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村山輝星ちゃんは笑顔でランをゴールし、ゴールで迎えた母・紘子さんとハグをし、「達成感でいっぱいです!皆様の応援のお陰でここまで来れたと思うので、本当に感謝しかないです」と語っています。
また、母・紘子さんも、「トライアスロンを通して、身も心も大きく成長させて頂いたと思っていて、生前父ちゃんが『トライアスロンをやらせて欲しい』と、彼女に伝えた意味が分かったような気がします」と、コメントしています。
そして、母子で空を見上げて亡き父・村山浩一さんに「頑張ったよ~!」と、メッセージを送りました。
最後に、母・紘子さんが『笑顔で走りました賞』のメダルを、村山輝星ちゃんに授与しています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな村山輝星ちゃんを、引き続き注目していきたいと思います。