*アフィリエイト広告を利用しています。
元女性の格闘家と交際12日でスピード結婚し、2カ月で離婚問題に発展した、坂口杏里(さかぐち・あんり)さん。
坂口杏里さんは、幼い時に両親が離婚し、引き取った母親も2013年に亡くなっています。
そんな坂口杏里さんの母親の死因や、父親や兄弟はどんな人だったのか、気になりますよね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、坂口杏里の母親・父親・兄について、ご紹介したいと思います。
坂口杏里さんの母親は、女優の坂口良子(さかぐち・りょうこ)さんです。
母・坂口良子さんは57歳で、2013年3月27日午前3時40分に、横行結腸(おうこうけっちょう)ガン(大腸ガン)と肺炎で亡くなっています。
坂口良子さんは、2011年夏ごろから消化器系の疾患で通院しており、2013年2月末に入院したと報じられました。
この報道を受け、坂口良子さんは公式ブログで、
昨年、腸閉塞を患い、ほぼ同時にインフルエンザから肺炎になってしまったりと、体調を少し崩しておりました。
引用元:日刊スポーツ
現在は、栄養を補給するため、点滴などの治療をしながら、ゆっくりと静養しております。今後とも皆様に喜んで頂けるようなお仕事をして参る所存でございますので、応援よろしくお願いいたします。
と、綴っていました。
テレビ関係者によると亡くなる直前の3月上旬には、同月18日収録の『踊るさんま御殿』(日本テレビ系)の出演もブッキングしていたそうです。
腸閉塞では腸を1メートル切除する手術を受けていますが、術後は便秘症だけど、経過は順調で、ほぼ完治していたようですが、容態が急変してしまったのかもしれません。
坂口杏里さんが母・坂口良子さんの病状を知ったのは、亡くなる二日前でした。
連絡を受けて病室に着いた時には、酸素マスクや点滴などが繋がれて瀕死の状態で、母の姿を見た坂口杏里さんはショックで倒れてしまったそうです。
坂口良子さんは最後に小さな声で、「家族っていいな」と最後の言葉を残しています。
母・坂口良子さんが亡くなった際、当時の夫と坂口杏里さんがコメントを発表しています。
これから家族全員、力をあわせて、皆様のご厚情を賜りながら頑張ってまいります。今後とも、なにとぞ、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
引用元:日刊スポーツ
坂口良子さんは、1971年に『ミス・セブンティーンコンテスト』で優勝して芸能界入りをし、1972年シングル『あこがれ』で歌手デビュー。
同年、フジテレビのドラマ『アイちゃんが行く!』で、主演デビューをし、その後、1980年のドラマ『池中玄太80キロ』(日本テレビ系)など、人気ドラマで活躍していました。
2012年12月には、坂口杏里さんと関西テレビの『雨上がり食楽部』で、母娘共演を果たしています。
坂口杏里さんには父親が2人います。
坂口杏里さんの実父は、田山恒彦さんです。
母・坂口良子さんは、1986年に不動産会社「本州興産(株)」社長の田山恒彦さんと結婚し、1男1女をもうけましたが、1994年に離婚しています。
田山恒彦さんは、“地上げの神様”と呼ばれた人物でしたが、バブル崩壊で会社が倒産したため、離婚に至りますが、坂口良子さんは連帯保証人で40億円の借金を負っていました。
坂口良子さんは娘の坂口杏里さんを祖母に預けて仕事に励み、借金は10年で完済しています。
田山恒彦さんは現在、ガンで闘病中だそうで、坂口杏里さんのブログによると、悩み抜いた末にお見舞いに行ったようです。
『20年ぶりに父親と再会を果たした』と題し、お見舞いに行くことに対して、「ママを苦しめて苦しめてどん底までやった人間の顔なんかみるか」と、悩んだそうです。
それでも悩み抜いた結果、「今私がこうして生きているのも、ママとお父さんが私とお兄ちゃんを産んでくれたからだ」と思い、お見舞いを決意したそうです。
そして、2人目の父親は、プロゴルファーの尾崎健夫さんです。
母・坂口良子さんは、1998年に知人の紹介で尾崎健夫さんと知り合いました。
“ママが取られる”と再婚を反対する坂口杏里さんの気持を汲み、10年以上事実婚を続けてきましたが、大腸ガンで亡くなる半年前の、2012年8月12日に再婚しています。
坂口良子さんはテレビ番組で、「最後は一緒のお墓に入りたい」と話しており、病気を知った2人は、残り少ない日々を夫婦として共に過ごそうと決めたそうです。
尾崎健夫さんは2012年12月以降から仕事を減らし、親しい関係者には「妻を看病したいから」と心情を語っていたとか。
一方、坂口杏里さんは、母の再婚と死にショックを受け、「相談に乗りたい」という尾崎健夫さんの申し出を拒否しており、今も絶縁状態だといいます。
坂口杏里さんには2歳上の兄がいます。
兄の名前は直彦さんといい、一般人ですが、坂口良子さんと尾崎健夫さんの披露宴のテレビ放送で登場し、広く知られるようになりました。
その時「坂口直彦」さんと紹介されており、ネット上では、「慶応義塾大学医学部出身で、慶応義塾大学病院に勤務する医師である」と噂されました。
しかし、坂口杏里さんが逮捕された際、本名が『野澤杏里』と判明したことから、兄の名前は野澤直彦さんである可能性があります。
番組で『坂口直彦』と紹介されたのは、一般人であるためプライバシー保護のために、便宜上『坂口』と名乗ったようです。
慶応義塾大学病院の公式サイトで医師を検索しても、『坂口直彦』『野澤直彦』ともに該当者はいませんので、噂の域を出ない情報のようですね。
この噂は、母・坂口良子さんの病名を、坂口杏里さんは知らされず、兄の直彦さんは知っていたといわれ、何故、息子には伝えられたかのかという疑問が生まれ、その理由として医師であるため隠し通せないから、という憶測から出たたようです。
坂口杏里さんの“お騒がせ”が始まったのは、2013年3月に母・坂口良子さんが亡くなった以降からです。
これまでの“お騒がせ”の内容は、次の通りです。
坂口杏里さんは、小学校から成城学園に通っていましたが内部進学できず、高校からは堀越高校へ入学しています。
通信簿は体育以外ほとんど『1』で、友達に「ジャニーズの子を紹介して」て頼んでいたそうです。
2008年に二世タレントとしてデビューし、全面的に母・坂口良子さんがサポートしてきました。
坂口良子さんは、バラエティー番組にも一緒に出演し、俳優仲間に「娘をよろしく」と、頭を下げていて、子育てできなかった罪滅ぼしに見えたと、芸能関係者が明かしています。
前夫の連帯保証人として、40億円の借金を抱えた坂口良子さんは、子供を祖母に預けてがむしゃらに仕事に励んで、10年で完済しています。
坂口良子さんは自ら子育てができず、それが後悔の種だったと、元マネージャーが話しています。
また、兄の直彦さんも『週刊ポスト』の取材で、坂口杏里さんについて、次のように話しています。
幼い頃から、甘やかされてわがままに育ってしまった杏里は、自分がこうだと思ったら誰の意見も聞かず、深く考えずに行動してしまいます。芸能界デビュー直後、業界に慣れず苦しんでいたので、“芸能界なんて辞めなよ”と助言したことがありました。けれど、華やかな世界が好きな杏里は、“絶対に辞めない”と頑なだった。
引用元:NEWSポストセブン
AVデビューの時も何一つ相談がなかった、カネについても家族には何も言わない。前ぐ自分の思うようになると思っているから、今回のような事件を起こしたのでしょう。
坂口杏里さんの度重なるトラブルの原因は、両親の離婚、連帯保証人となり借金返済のために奔走する母親の多忙、継父との不和などで受けた、『家庭内でのトラウマ』があるようです。
そこに母親の死去による強い喪失感が加わり、実父によって苦労した母親の姿を見て、男性に対する幻滅や嫌悪感もあるのではないかと、心理カウンセラーが話しています。
また、自分の性を安売りするのは、自分を大切にできていないこともあり、孤独や無意識の中で抱えているトラウマが影響している可能性があるようです。
もし、坂口杏里さんにもトラウマがあるなら、専門的な治療を受けて、今後の人生では“お騒がせ”が起きない、安定した生活を送って欲しですね。
★坂口杏里さんの旦那に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな坂口杏里さんを、引き続き注目していきたいと思います。