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NPK・横浜DeNAベイスターズのオーナーの南場智子(なんば・ともこ)さん。
南場智子さんは株式会社DeNAの創業者で、モバイルゲームやeコマース、プロ野球チームの運営など、多岐にわたる事業を展開しています。
そんな南場智子さんを支える夫や子供はどんな人なのか気になりますよね。
そこで今回の記事では、
・南場智子の子供
・南場智子の実家の父親
の3つのポイントに沿って、南場智子さんについてご紹介したいと思います。
南場智子の夫は癌で死去!
南場智子さんの夫は紺屋勝成さんという方で、彼はUSEN取締役を務め、2016年12月5日に53歳で膵臓癌で亡くなっています。
南場智子さんは夫の看病のために、2011年に一時DeNAの代表取締役を退任し、2年間夫の闘病生活を支え続け、2013年に現場復帰していました。
南場智子さんと夫の紺屋勝成さんは、1990年代にマッキンゼー・アンド・カンパニーでの同僚として出会い、その後結婚しましたが、彼女の結婚後の生活は仕事最優先で、食事は100%外食。
さらに、夫の洗濯物には触ったこともなく、2人とも深夜近くに帰宅しそのまま爆睡という生活パターンでしたが、紺屋勝成さんも家事もせず仕事ばかりする南場智子さんを面白がっていたとか。
ところが、そんな生活が2011年4月に夫の癌の告知をうけて急変し、南場智子さんにとっての優先順位が仕事から家庭へ変わったと言います。
南場智子さんは夫のために料理を学び、免疫力を高める食事を提供するなど、出来る限りのサポートを行いました。
また、彼女は夫と一緒に散歩に行ったり、陶芸教室に通ったり、音楽を聴いたりすることで精神的な支えとなるよう尽力を尽くしました。
夫の紺屋勝成さんは2016年に亡くなりましたが、南場智子さんは夫との時間を大切にし、彼との闘病生活を通じて家族の絆を深めることができたと語っています。
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南場智子の子供は何人いる?
南場智子さんには子供はおらず、夫の紺屋勝成さんと2人の時間を過ごし、現在は愛犬のさくらちゃんと生活しています。
南場智子さんは子供に恵まれませんでしたが、会社を起業し経営者となった時には、「子供を持つ」といったライフイベントには手厚くしたいと思っていたと言います。
南場智子さんの会社がほんの少し黒字になった時に始めたのが「子供手当」だったそうです。
さらに、育児については男性も女性も関係なく、育児で時短や休むことも大いに奨励し、サポートしたいと考えているとのことです。
一般的に「子供を産んで一人前」と言われるが、南場智子さんは「そうは思わない」と言い、「子供を産まなければ得られない経験も沢山あるけども、年老いて子供がない夫婦で寂しく暮らすとか、あるいは夫婦だけで暮らすというのも、それなりの経験で、それに優劣はない。」と述べていました。
南場智子さんは仕事や夫の看病に専念してきたため、家族の形はそれぞれだという考えを持っているのかもしれませんね。
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南場智子の実家の父親は石油卸商!
南場智子さんの実家の父親の名前は勝男さんという方で、新潟市で石油卸売業の経営者でした。
南場智子さんの父・勝男さんは、商家の次男として生まれ、教員から石油卸事業に進んでおり、体格は身長182㎝で100㎏超えの巨漢。
絶対的な存在で、非常に厳格な教育方針を持っていた方で、門限を18時に設定し、何事も父親の許可が必要という環境で南場智子さんは育ちました。
新潟高等学校を卒業後、南場智子さんは父親の“指定”で、津田塾大学学芸部英文学科に進学しましたが、「学生運動をするな」「就職は父の言う通りに」「ボーイフレンドを作るな」と条件が付けられていたとか。
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南場智子さんは上京し、津田塾大学の寮で生活を始めたものの、いつも父の影におびえていたそうで、門限は午後11時前後でしたが、アルバイトや遊びで遅くなると、その度に連絡がいっているのではと怯えていたと言います。
その中で22歳での米国留学が転機となり、留学中は頻繁に父親と手紙を交換するようになり、父の手紙はとてもユーモアがあり、達筆の母親とは違ってヘタウマな字に温かみがあり、初めて面白みがある人だなと思えたそうです。
南場智子さんはその後も色んな出来事に直面し、動揺しそうな時に思い出すのは「自分はすごく強い父の子供」ということだとか。
南場智子さんは厳しい環境の中で育ちましたが、その経験が彼女の努力家精神や負けず嫌いな性格を形成する一因となったことは間違いないでしょうね。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな南場智子さんを、引き続き注目していきたいと思います。