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パリ・パラリンピックの車いすテニスの男子シングルスで、金メダル獲得を目指す小田凱人(おだ・ときと)さん。
現在18歳の小田凱人さんは、2023年6月にはグランドスラムを制覇し、史上最年少で世界ランク1位となっており、その活躍に注目が集まっています。
そんな小田凱人さんが車いす生活となった理由は骨肉腫だそうですね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、小田凱人さんについてご紹介したいと思います。
小田凱人さんは9歳の時に、左の股関節に骨のガンである「骨肉腫」を発症し、車いす生活を余儀なくされました。
小田凱人さんは小学校の徒競走で1位になるほど足が速く、幼少期からサッカーに取り組み、プロ選手になることを本気で夢見ていたそうです。
しかし、9歳の時にプレー中に激痛が走り、利き足の左の股関節に骨肉腫が見つかり、その後、17回の抗がん剤治療を経て、股関節と大腿骨の一部を切除し、人工関節に置き換える12時間の大手術を受けています。
当時、小田凱人さんを担当した医師は「治療の時に、赤い薬(抗がん剤)が点滴で入るんです。しんどいんですよ。それが入ると食欲も落ちるし口数も減るし、静かに耐えてる感じ。こんな小さな子供なのに、そうやって頑張れるっていうのはなかなかいなかった。」と話しています。
しかし、小田凱人さんは手術の後遺症で左脚の自由を失い車いす生活となり、サッカー選手になる夢を諦めることになりました。
現在、車いすテニスのプロ選手として、週5日の練習をこなしている小田凱人さんですが、練習中に結構足が痛くなることもあるといいます。
小田凱人さんは9歳の時に手術を受けており、人口の股関節がサイズ的に合わなくなってきて非常に負担がかかっているため、いずれ左脚の再手術が必要となってくるとのことです。
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普段我々が見る小田凱人さんは車いすを使用していますが、普段は短い距離なら杖を使って歩くことができます。
左脚には人工関節が入っているため、長い距離の歩行は難しいそうですが、小田凱人さんは「筋力低下を防ぐためにも、普段は立って生活するようにしています。」と話しています。
小田凱人さん本人はリハビリを理由としていますが、「カッコイイ自分でありたい」という想いもあるようで、車いすテニスの選手として「障害のある子供たちの憧れでありたい」と公言していました。
そのような理由からも、普段は出来るだけ立って生活するようにしているとのことです。
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プロサッカー選手になる夢が絶たれた小田凱人さんに希望を与えたのが、同じ車いすテニス選手の国枝慎吾さんでした。
国枝慎吾さんは車いすテニスのトッププレーヤーで、2023年に現役引退をしています。
小田凱人さんは入院中に病院のベッドの上で、ロンドン・パラリンピックの決勝で戦う国枝慎吾さんの姿に釘付けになったそうです。
小田凱人さんは「めちゃくちゃカッコいい!自分もこうなりたい。」と魅了され、車いすテニスを早くやりたいために懸命にリハビリに取り組み、闘病生活を克服して退院した後、すぐにラケットを振り始めました。
小田凱人さんは車いすテニスができるクラブに通い、本格的に車いすテニスに取り組むも、2度にわたりガンの肺転移が発覚し、不安と恐怖に襲われながらも、憧れの国枝慎吾さんの背中を追い続けてきたそうです。
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その後、小田凱人さんはガン再発から見事に復帰し、車いすテニスをはじめてから4年後の2020年に、18歳以下の世界大会となる「世界ジュニアマスターズ」で、史上最年少優勝を果たしました。
2021年には世界ジュニアランキング1位を獲得し、15歳でプロに転向し、2022年の楽天オープンジャパンでずっと憧れていた国枝慎吾さんと対戦し、激戦を繰り広げるまでに成長を遂げました。
これまでに小田凱人さんは、国枝慎吾さんと4回対戦して一度も勝利できませんでしたが、「(国枝慎吾さんに)勝てずに終わったから、今も頑張れているように思う。」と話しています。
そんな小田凱人さんは、引退を発表した直後の国枝慎吾さんから直接電話で、「これから車いすテニスを引っ張っていって」と告げられており、その言葉が今でも深く心に響いているそうです。
小田凱人さんは今でも国枝慎吾さんを見かけると、「うわ!国枝さんだ!」と童心に戻ってしまうと話していました。
★小田凱人さんの家族に関する記事はこちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される小田凱人さんを、引き続き注目していきたいと思います。