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元プロ野球選手で、阪神タイガースの監督を務める岡田彰布(おかだ・あきのぶ)さん。
岡田彰布さんは「阪神のために生まれてきた」というべき環境で育ったそうです。
そんな岡田彰布さんの若い頃が精悍な顔つきでイケメンなんです。
そこで今回の記事では、
・岡田彰布の実家
・岡田彰布の父親
岡田彰布の若い頃がイケメン!
先ずは、岡田彰布さんの若い頃のイケメン画像をまとめてみましたので、ご覧ください。
岡田彰布さんは、大阪市立愛日小学校5年生の時に、南海ホークスが運営する「リトルホークス」に入団し、本格的に野球を始めています。
明星中学校時代には、3年生の時に中学野球大阪府大会で優勝を経験した後、北陽高校へ進学して1年生の夏の甲子園に左翼手として出場し、3試合で9打数3安打、打率.333を記録。
岡田彰布さんは高校3年生の時は、エース兼4番として府大会決勝まで進みましたが、興国高校に0対2で敗れ甲子園出場は叶いませんでした。
この年に読売ジャイアンツからドラフト指名の話がありましたが、岡田彰布さんはプロ入りせず、早稲田大学野球部のセレクションを受け、15打数14安打14本塁打という凄まじい打撃力をみせ一発合格。
早稲田大学時代の岡田彰布さんの通算成績は、88試合、309打数117安打、20本塁打、81打点、打率.379で、打点と打率は現在も破られていないそうです。
さらに、岡田彰布さんは5季連続ベストナインに選ばれ、史上2人目のサイクル安打を達成し、大学野球の花形選手になっています。
歴史に残る記録を次々と樹立した岡田彰布さんは、ドラフト会議の目玉となり、当時史上最多となる6球団が指名し、抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を獲得して、契約金6000万円、年俸480万円で入団しています。
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岡田彰布の実家は玉造で自営業!?
岡田彰布さんが生まれ育った実家は大阪の玉造にあり、岡田彰布さんが生まれた昭和30年代は、木造住宅がまばらに立つ大阪らしい下町だったそうです。
岡田彰布さんの実家はJR大阪環状線の玉造駅の近くで、紙を加工する『大阪紙工所』という町工場を経営していました。
両親は忙しく、近所に遊ぶ友達がいなかった岡田彰布さんは、玉造の自宅近くにある大阪女学院の塀にボールをぶつけて遊んでいたそうです。
隣にある玉造公園も岡田彰布さんの大切の練習場で、少年時代からブランコの上で「どうすれば勝てるか」を考えていたと言います。
岡田彰布さんは、毎日のように玉造公園で野球をして、6年生の時には、父親と親交があった阪神の三宅秀史さんが公園にきて「君はいい選手だ。指が短いから投手より内野手になりなさい」と言われたそうです。
そんな思い出深い玉造公園は今でもありますが、公園には「野球、サッカーなど、危ない球技はやめましょう」との看板が立っていて、今では野球が出来なくなっています。
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岡田彰布の父親は阪神のタニマチ!
岡田彰布さんの父親の名前は岡田勇郎さん(1986年他界)です。
父・勇郎さんは1930年生まれで、岡田彰布さんが生まれる前から阪神ファンで、阪神のタニマチとも呼べる存在で、阪神後援会の重鎮だったとか。
そんな勇郎さんは、年俸の低い二軍選手に食事をもてなす気配りの人だったそうです。
岡田彰布さんの実家にも、しばしば阪神の主力選手が招かれることもあり、少年時代から故・村山実さんや藤本勝巳さんらと交流があったと言います。
岡田彰布さんが4歳だった1962年の阪神優勝時には、パレードの先頭車に藤本貞義監督らと一緒に乗ったこともあるそうです。
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父・勇郎さんは、まだ5歳だった岡田彰布さんを阪神選手の自主トレに参加させたり、甲子園の三塁側スタンドから長嶋茂雄が打席に立つと、親子で野次を飛ばしていたとか。
さらに、勇郎さんは、知人や社員で野球チーム「大阪紙工クラブ」を作り、岡田彰布さんは大人ばかりの中で、村山実さんの背番号「11」をつけてマウンドに上がっていたそうです。
父・勇郎さんは1986年に亡くなっていますが、2005年に阪神が優勝した日は亡父の誕生日で、岡田彰布さんは涙を流して喜んでいました。
★岡田彰布さんのお嫁さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな岡田彰布さんを、引き続き注目していきたいと思います。
コメント
[…] たため、彼は玉造の自宅近くにある大阪女学院の塀にボールをぶつけて遊んでいたと言います。 詳しくみる ⇒ 参照元: 岡田彰布の若い頃がイケメン!実家は玉造で自営業!?父親は阪神… […]