岡田彰布の若い頃がイケメン!実家は玉造で自営業!?父親は阪神のタニマチ!

岡田彰布,若い頃,実家,玉造,父親,阪神 スポーツ
スポンサーリンク

*アフィリエイト広告を利用しています。

元プロ野球選手で、阪神タイガースの監督を務める岡田彰布(おかだ・あきのぶ)さん

岡田彰布さんは「阪神のために生まれてきた」というべき環境で育ったそうです。

そんな岡田彰布さんの若い頃が精悍な顔つきでイケメンなんです。

そこで今回の記事では、

・岡田彰布の若い頃
・岡田彰布の実家
・岡田彰布の父親
の3つのポイントに沿って、岡田彰布さんについてご紹介したいと思います。
スポンサーリンク

岡田彰布の若い頃がイケメン!

先ずは、岡田彰布さんの若い頃のイケメン画像をまとめてみましたので、ご覧ください。

岡田彰布,若い頃,実家,玉造,父親,阪神
大阪・北陽高校時代の岡田彰布さん
出典元:野球コラム
岡田彰布,若い頃,実家,玉造,父親,阪神
早稲田大学時代の岡田彰布さん
出典元:早稲田大学
1979年の日米大学野球の時の原辰徳さんと岡田彰布さん
出典元:サンスポ
岡田彰布,若い頃,実家,玉造,父親,阪神
ドラフト会議で阪神の指名を受けた時の岡田彰布さん
出典元:時事.com
岡田彰布,若い頃,実家,玉造,父親,阪神
ルーキーイヤーの岡田彰布さん
出典元:週刊ベースボール

岡田彰布さんは、大阪市立愛日小学校5年生の時に、南海ホークスが運営する「リトルホークス」に入団し、本格的に野球を始めています。

明星中学校時代には、3年生の時に中学野球大阪府大会で優勝を経験した後、北陽高校へ進学して1年生の夏の甲子園に左翼手として出場し、3試合で9打数3安打、打率.333を記録

岡田彰布さんは高校3年生の時は、エース兼4番として府大会決勝まで進みましたが、興国高校に0対2で敗れ甲子園出場は叶いませんでした。

この年に読売ジャイアンツからドラフト指名の話がありましたが、岡田彰布さんはプロ入りせず、早稲田大学野球部のセレクションを受け、15打数14安打14本塁打という凄まじい打撃力をみせ一発合格。

早稲田大学時代の岡田彰布さんの通算成績は、88試合、309打数117安打、20本塁打、81打点、打率.379で、打点と打率は現在も破られていないそうです。

さらに、岡田彰布さんは5季連続ベストナインに選ばれ、史上2人目のサイクル安打を達成し、大学野球の花形選手になっています。

歴史に残る記録を次々と樹立した岡田彰布さんは、ドラフト会議の目玉となり、当時史上最多となる6球団が指名し、抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を獲得して、契約金6000万円、年俸480万円で入団しています。

名前:岡田彰布(おかだ・あきのぶ)
出身地:大阪府大阪市中央区
生年月日:1957年11月25日(65歳)
身長/体重:175㎝・77㎏
職業:監督・コーチ

広告の下にコンテンツが続きます…。

岡田彰布の実家は玉造で自営業!?

岡田彰布,若い頃,実家,玉造,父親,阪神
出典元:スポニチアネックス

岡田彰布さんが生まれ育った実家は大阪の玉造にあり、岡田彰布さんが生まれた昭和30年代は、木造住宅がまばらに立つ大阪らしい下町だったそうです。

岡田彰布さんの実家はJR大阪環状線の玉造駅の近くで、紙を加工する『大阪紙工所』という町工場を経営していました。

両親は忙しく、近所に遊ぶ友達がいなかった岡田彰布さんは、玉造の自宅近くにある大阪女学院の塀にボールをぶつけて遊んでいたそうです。

隣にある玉造公園も岡田彰布さんの大切の練習場で、少年時代からブランコの上で「どうすれば勝てるか」を考えていたと言います。

玉造公園
出典元:スポニチアネックス

岡田彰布さんは、毎日のように玉造公園で野球をして、6年生の時には、父親と親交があった阪神の三宅秀史さんが公園にきて「君はいい選手だ。指が短いから投手より内野手になりなさい」と言われたそうです。

そんな思い出深い玉造公園は今でもありますが、公園には「野球、サッカーなど、危ない球技はやめましょう」との看板が立っていて、今では野球が出来なくなっています。

広告の下にコンテンツが続きます…。

スポンサーリンク

岡田彰布の父親は阪神のタニマチ!

出典元:Yahooニュース

岡田彰布さんの父親の名前は岡田勇郎さん(1986年他界)です。

父・勇郎さんは1930年生まれで、岡田彰布さんが生まれる前から阪神ファンで、阪神のタニマチとも呼べる存在で、阪神後援会の重鎮だったとか。

そんな勇郎さんは、年俸の低い二軍選手に食事をもてなす気配りの人だったそうです。

岡田彰布さんの実家にも、しばしば阪神の主力選手が招かれることもあり、少年時代から故・村山実さんや藤本勝巳さんらと交流があったと言います。

岡田彰布さんが4歳だった1962年の阪神優勝時には、パレードの先頭車に藤本貞義監督らと一緒に乗ったこともあるそうです。

広告の下にコンテンツが続きます…。

★スポーツ観るならスポーツ専門の「DAZN(ダ・ゾーン)」がおススメ!★


父・勇郎さんは、まだ5歳だった岡田彰布さんを阪神選手の自主トレに参加させたり、甲子園の三塁側スタンドから長嶋茂雄が打席に立つと、親子で野次を飛ばしていたとか。

さらに、勇郎さんは、知人や社員で野球チーム「大阪紙工クラブ」を作り、岡田彰布さんは大人ばかりの中で、村山実さんの背番号「11」をつけてマウンドに上がっていたそうです。

父・勇郎さんは1986年に亡くなっていますが、2005年に阪神が優勝した日は亡父の誕生日で、岡田彰布さんは涙を流して喜んでいました。

★岡田彰布さんのお嫁さんに関する記事は、こちらをご覧ください。

いかがでしたでしょうか?

今後も益々話題となりそうな岡田彰布さんを、引き続き注目していきたいと思います。

コメント

  1. […] たため、彼は玉造の自宅近くにある大阪女学院の塀にボールをぶつけて遊んでいたと言います。 詳しくみる ⇒ 参照元: 岡田彰布の若い頃がイケメン!実家は玉造で自営業!?父親は阪神… […]