瓜田純士の若い頃は暴力団!小指がない理由は?歌舞伎町から出禁!?

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格闘技イベント『Breaking Down』で活躍している、格闘家の瓜田純士(うりた・じゅんし)さん

瓜田純士さんは、過去に様々なトラブルを起こしたことから、“元アウトローのカリスマ”という異名を持っています。

そんな瓜田純士さんが若い頃は暴力団員だったそうです。

そこで今回の記事では、

・瓜田純士の若い頃
・瓜田純士の小指がない理由
・瓜田純士の歌舞伎町出禁

の3つのポイントに沿って、瓜田純士さんの若い頃について、ご紹介したいと思います。

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瓜田純士の若い頃は暴力団!

小学生からアウトロー

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出典元:Excite

瓜田純士さんは17歳の時に暴力団員となり、暴力団『供攻社』を設立しています。

瓜田純士さんは1979年12月4日に、東京都新宿区歌舞伎町の花屋に生まれ、父親は暴走族『ブラックエンペラー』の2代目曹長の瓜田吉寿さん

小学6年か中学1年の時、両親は離婚しており、瓜田純士さんは母親と暮らしていました。

小学生の頃から既にアウトローとして生きて来て、瓜田純士の名前を知らない不良はいなかったとか。

瓜田純士さんは小学校5年生の時に、「死ぬな」と思った事件があったと言います。

同じ小学校で一つ年上の先輩が、当時新宿区では最強と言われるほど喧嘩が強く、小学校では瓜田純士さんと先輩はどっちが強いのかと話題となっていたとか。

2人はある日を境に喧嘩になってしまい、お互いの側近たちも含めて、駄菓子屋挟んでにらみ合いの抗争になるほどとなり、最終的にタイマンで決着つけなければならなくなったそうです。

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そこで瓜田純士さんは先輩の側近に「かかって来いって言っとけ」と言うと、先輩が瓜田純士さん住むマンションに乗り込んできます。

鼻血や耳からも血が出るほどボコボコにされ、6階のバルコニーから落とされそうになったと言います。

その他にも、同級生の男の子から、彫刻刀で手を刺されたこともあるそうです。

中学に入ってすぐ、瓜田純士さんは新宿区全体を制覇したと言います。

中学2年生に進級する際には、あまりに素行が悪かったため、通っていた新宿区の中学から、杉並区の高南中学校へ強制的に転校させられたそうです。

その当時、バイクの後ろに乗って高円寺の街で遊んでいた瓜田純士さんは、環状7号線に勢いよく飛び出してしまい、4トントラックと衝突

バイクの後部座席からすっ飛んだ瓜田純士さんは、トラックのフロントガラスを割って突っ込み、運転手の横のサイドシートにぶつかり、その勢いで7mほど飛んで行ったそうです。

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瓜田純士さんは頭20針を縫いと、右足の骨が折れて突き出てしまい、大きなボルトが入っており、それが最初のICUで本当にヤバかったと、話しています。

その後、、のちの準暴力団『関東連合』のメンバーとなる松嶋重さんや、「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格となる人物関東連合の幹部となる柴田大輔さんらと交流を持つようになります。

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17歳で暴力団入り

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出典元:YouTube

瓜田純士さんは、1年程鳶職として働くも、17歳の時に暴力団員となっており、暴力団『供攻社』を設立しています。

瓜田純士さんは入った当時、暴力団の部屋住みをしており、そこに覚醒剤中毒でめちゃくちゃ怖い先輩がいつも居たそうです。

その先輩は何度も刑務所に入っていたため、掃除が習慣になっていて、ちょっとでも汚すと怒られたとか。

瓜田純士さんは組長から、その先輩が間もなく逮捕され何年も刑務所に入ることになるため、ヤケになっているから刺激をするなと言われていました。

ある日その先輩に言われるがままに、大量の中華の出前を頼んだ瓜田純士さんですが、先輩は少ししか食べず、瓜田純士さんも食べきれず残していました。

すると先輩が「お前これ残す気か?誰が洗い物するんだ。俺にせぇって言うんか!」と怒って、初めて拳銃を口の中に突っ込まれ、「本当に殺されると思った」と話しています。

そんなエピソードが他にも沢山あったそうです。

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その後、瓜田純士さんは薬にハマってしまい、2003年4月に覚醒剤取締法違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となっており、瓜田純士さんに収監により『供攻社』は解散しています。

刑務所の中で文章を書くことの面白さを知った瓜田純士さんは、刑務所に服役中に、5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールで、『mother』と題して発表した小説が大賞を獲得。

人生初の賞状獲得となった出来事をきっかけに、作家を目指すようになり、服役中に暴力団から脱退し、カタギとなって出所しています。

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出典元:GBR

瓜田純士さんは出所後、本を書いたり、映画を撮ったり、音楽活動を始めたり、格闘技『THE OUTSIDER』のリングにも上がっています。

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瓜田純士の小指がない理由は?

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瓜田純士さんは、左手の小指がありません

その理由を、竹原慎二さんのYouTubeチャンネル『竹原チャンネル』の動画内で、明かされていました。

瓜田純士さんの話によると、薬や組織のもめ事で指を落とすのは左の小指で、女がらみのもめ事の場合は右の小指

人差し指の第一関節が無い人は、チャカ(拳銃)の始末が悪い人で、チャカで下手うった時は引き金打てないようにすると説明しています。

瓜田純士さんの場合は左の小指ですが、組の親父と口論になったことがきっかけだとか。

電話で組の親父と口論になった瓜田純士さんは、本来なら口論になることすら許されないのに、色々と意見を言ってしまい、腹が立ったのと同時に「ヤバいぞ」と思って、顔が真っ青になったと言います。

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そこで“指だな”と思った瓜田純士さんは、電話を切った直後のエキサイトした状態で、最初に自分の奥歯で小指を嚙み切って、肘をテーブルに叩きつけてちぎろうと思ったとか。

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ところが、骨が硬くて小指がちぎれなかったため、指がブラブラの状態でサンクスでペーパーナイフを買って、最後踏んづけて指を取ったと言います。

瓜田純士さんがそんな行動を取った理由は、親父に生意気なことを言ったことと、自分の見栄もあったそうです。

最終的には親父に怒られてペコペコしている姿を、同列の奴らに見られるため、そいつらに先手を打って「何も言わせない」と思い、格好つける意味もあったと話しています。

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瓜田純士さんは小指を落としたことで、趣味でやってた楽器もコードが押さえれないため、できなくなったと苦笑しています。

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瓜田純士は歌舞伎町から出禁!?

歌舞伎町所払い

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出典元:Excite

瓜田純士さんは、刑務所を出所し暴力団を抜ける時の条件に、「歌舞伎町を歩くな」と言われており、歌舞伎町出禁となっています。

瓜田純士さんの歌舞伎町出禁は、厳しい成約があるわけではないそうです。

組を辞めたのに目立ったことをするなよ。他の組織の奴らに見栄えが良くないから」という暗黙の了解となっていると話しています。

歌舞伎町出禁から既に10年が経過していますが、瓜田純士さんは未だに夜は歩かないし、飲みにも行かないそうです。

しかし、瓜田純士さんを“歌舞伎町出禁”と言った組長は、今はカタギになっているため、本来はもう関係ないのですが、立ててなんぼの世界なため、今でもあまり歌舞伎町は歩かないようにしているようです。

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歌舞伎町出禁の経緯

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瓜田純士さんは、YouTubeチャンネル『丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー』に出演し、歌舞伎町出禁になった経緯を話しています。

そもそも、瓜田純士さんは暴力団時代、目立っていたため身内や周りに潰しをかけられていたとか。

瓜田純士さんはその頃“勘違い”が入ってしまい、「今の俺だったら、無茶して脅かせばコイツら黙らせるんじゃないか」と粋がっていた、上の人の言うことなんか聞いてられないと思っていたそうです。

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その頃は組長とも上手くいっておらず、最終的にみんなの前で組長に締められたものの、大人しく出来なかった瓜田純士さんは、「ゆるせねぇな」みたいな感情が湧き、「アイツは生意気すぎる」と徐々に嫌われていったと言います。

歌舞伎町では応援してくれるアウトロー的な先輩たちもいましたが、組長をはじめとする組織のルールに従っているちゃんとした人たちからは、「あんなヤツ許してはダメだ」と言われたとか。

当時の瓜田純士さんの思考は、「組織の中にいながら、組織の言うことを聞かないで、好きなことをしていたい」という矛盾があったそうで、「身勝手なことするならヤクザなんて辞めてしまえ」とまで言われたそうです。

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瓜田純士さんは組長に絞められた後も、70数cmの脇差しみたいなのを持って、目が合ったら「殺してやる」と言いながら、深夜の歌舞伎町を徘徊していました。

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そんなことを繰り返しているうちに瓜田純士さんは、逮捕されることになり、その時初めて「ヤベーぞ」と気づいたと言います。

刑務所の中で瓜田純士さんは、500円玉くらいの大きさの円形脱毛症になるほど、悩んだそうです。

26歳の終わりに出所した瓜田純士さんは、本部に行って組長や親分に「本当に色々すいませんでした。」と挨拶をし、「決めたことなんで、カタギになりたいです」と意向を伝えます。

しかし、「もうちょっとゆっくりしろ」と何度もその話をはぐらかされ、6回目くらいになると「いい加減にしろ!自分の好き勝手やってきて。1回の懲役で何カタギになりてぇだよ。」と怒られます。

しかし、瓜田純士さんは、本部にある自分の名札を盗んできたり、本部に電話して「俺の名前消してください。俺辞めるんで」と勝手なことをして、また、暴挙に出てしまい問題を作ってしまいます。

そして、最終的に「歌舞伎町に入れるな」となってしまったそうです。

名前:瓜田純士(うりた・じゅんし)
出身地:東京都新宿区歌舞伎町
生年月日:1979年12月4日(43歳)
身長/体重:184㎝・70㎏
職業:作家、格闘家・YouTuber

★瓜田純士さんの家族に関する記事は、こちらをご覧ください。

いかがでしたでしょうか?

今後も益々話題となりそうな瓜田純士さんを、引き続き注目していきたいと思います。