*アフィリエイト広告を利用しています。
福岡県議として7期目を務める松尾統章県議。
父親や祖父について調べる人が増えていますが、実は父・松尾剛健氏は福岡県議、祖父・松尾武氏は北九州市議を務めた政治家でした。
さらに、父親が経営していた建設会社と「松尾組」の関係や、松尾統章県議が家業ではなく政治の道を選んだ経緯にも関心が集まっています。
この記事では、政治家三代の歩みや松尾組との関係、松尾統章県議の学歴・経歴を、公式プロフィールや本人の発言をもとに整理します。
松尾統章県議の父・祖父も政治家

松尾統章県議は、祖父・松尾武氏、父・松尾剛健氏に続く政治家三代目にあたります。
祖父は八幡市議・北九州市議、父は福岡県議を務めました。ただし、松尾統章氏自身は、初めから政治家を目指していたわけではありません。
もともとは父が経営していた建設会社で働いていましたが、父の病気と突然の死を境に人生が大きく変わりました。ここでは、父と祖父の経歴をたどりながら、松尾統章氏が政治の道へ進んだ背景を整理します。
父・松尾剛健は建設会社社長から福岡県議へ
松尾統章県議の父・松尾剛健氏は、株式会社松尾組の代表取締役を務めた後、福岡県議へ転身した人物です。
株式会社松尾組の公式サイトによると、同社は1938年に北九州市で創業しました。現在は建設・建築・道路舗装・砕石など、地域のインフラを支える事業を展開しています。
松尾剛健氏と松尾組の関係は、同社が公開している沿革から確認できます。
- 1938年10月:松尾組を創業
- 1973年11月:株式会社松尾組に組織変更
- 1975年3月:松尾剛健氏が代表取締役に就任
- 1990年7月:松尾茂行氏が代表取締役に就任
松尾統章氏はインタビューで、父が建設会社の社長をしていたため、幼い頃は自分も将来、建設会社の社長になりたいと思っていたと語っています。
ところが、松尾剛健氏は建設会社の経営から政治の世界へ進み、北九州市八幡西区を選挙区とする福岡県議になりました。父の政界転身後は、父の弟が建設会社を引き継いだとされています。
松尾統章氏も第一経済大学を卒業した後、家族が経営する建設会社で経理を担当しました。その後、グループのビルメンテナンス会社で営業も経験しています。
この頃の松尾統章氏は、父と同じ政治家になるつもりはなかったといいます。むしろ、松尾組を中心とする家業に携わりながら、会社経営の道を進むことを思い描いていました。
つまり、松尾統章氏と松尾組には、父が代表取締役を務め、本人も大学卒業後に家業で働いたという明確な関係があります。その後の政治家転身は、当初から予定されていたものではありませんでした。
父の病気をきっかけに後援会を支えた

松尾統章氏が政治の世界に関わるようになった直接のきっかけは、父・松尾剛健氏の病気でした。
松尾統章氏が25歳だった1998年秋頃、福岡県議を務めていた父の病気が判明します。当時、松尾統章氏は福岡市内にあるグループ会社の支店で働いていました。
本人のインタビューによると、家族から「父が倒れたから戻ってこい」と連絡を受け、急きょ北九州市へ戻ったといいます。
松尾剛健氏の病気は、本人の説明では白血病に似た症状を伴うものでした。治療法と骨髄移植のドナーが見つかっていましたが、県議選を控えていた松尾剛健氏は、選挙後に治療を受ける意向を示しました。
入院中には「松尾剛健氏が亡くなった」という噂も流れたとされます。松尾剛健氏はその噂を打ち消すため、医師の許可を得たうえで選挙活動を再開しました。
松尾統章氏は、病気の父に代わって後援会活動を手伝うようになります。政治家になるためではなく、当初は父を支えることが目的でした。
しかし、福岡県議選告示前日の1999年4月1日、松尾剛健氏は55歳で急逝します。
松尾統章氏の県政報告によると、父の突然の死を受け、その日のうちに後継候補として出馬を求められたといいます。十分な準備期間がない中で県議選に挑み、約2万票を獲得。26歳で福岡県議へ初当選しました。
松尾組で働いていた松尾統章氏の人生は、父の病気、後援会活動、告示前日の急逝によって大きく変わったのです。
祖父・松尾武は地方議員を通算42年務めた
松尾統章県議の祖父・松尾武氏は、八幡市議と北九州市議を通算42年間務めた地方政治家です。
松尾統章氏の公式ブログによると、松尾武氏は1947年4月に八幡市議へ初当選しました。
1963年に八幡市、小倉市、若松市、戸畑市、門司市が合併して北九州市が誕生した後は、北九州市議として活動を続けています。
本人が明らかにしている主な経歴は次のとおりです。
- 1947年4月:八幡市議として活動を開始
- 1963年:五市合併後、北九州市議として活動
- 1971年5月:北九州市議会議長に就任
- 1977年2月:北九州市議会議長を退任
- 1993年2月:市議としての活動を終了
- 2002年3月8日:死去
市議在任中には一度落選を経験していますが、八幡市議時代から数えて通算42年間、地方議員を務めました。北九州市議会議長の在任期間も約6年に及びます。
松尾統章氏は、祖父について「厳格という言葉が当てはまる人だった」と振り返っています。家や神棚の掃除を手伝うよう教えられ、先祖を供養することや地域を大切にする姿勢を学んだといいます。
また、松尾武氏は「政治家は地に足を着けて、地域の代弁者として活動しなければならない」という考えを持っていました。
この言葉は、松尾統章氏が政治家として活動するうえでの原点になったとされています。父だけでなく、祖父から受けた教育や地域政治への姿勢も、現在の政治活動に影響を与えているのです。
北九州市議会議長として産業医科大学誘致に尽力
祖父・松尾武氏は、北九州市への産業医科大学誘致に尽力した人物の一人とされています。
松尾統章氏の公式ブログによると、2012年に西日本新聞で松尾武氏の功績が紹介されました。その記事には「産医大 生みの親」という趣旨の見出しが付けられていたといいます。
産業医科大学は、北九州市八幡西区に本部を置く私立大学です。産業医学の振興と、働く人の健康を支える産業医の育成を目的として1978年に開学しました。
松尾武氏が北九州市議会議長を務めていた1973年頃、大学の誘致をめぐる動きが進められました。
松尾統章氏の説明では、祖父は当時の田中角栄首相に直接働きかけたとされています。国への要望活動を通じて、産業医科大学を北九州市へ誘致するために力を尽くしました。
ただし、大学誘致は一人の政治家だけで実現できるものではありません。国、福岡県、北九州市、地元の関係者など、多くの人が関わった事業です。
そのため、「松尾武氏が一人で大学を誘致した」と捉えるのではなく、北九州市議会議長として誘致活動を後押しした中心人物の一人と考えるのが適切でしょう。
松尾武氏は、地域の要望を国へ届け、将来の北九州市に必要な施設を残そうとしました。こうした祖父の姿勢は、父・松尾剛健氏、そして松尾統章氏へと受け継がれています。
松尾家三代の経歴をたどると、単に親子で議員になっただけではなく、八幡西区を活動の基盤としてきた共通点が見えてきます。
松尾統章県議と松尾組の関係

松尾統章県議と株式会社松尾組には、父・松尾剛健氏と本人の勤務経験を通じた関係があります。
父は松尾組の代表取締役を務め、松尾統章氏も大学卒業後、家族が経営する建設会社で経理を担当しました。
ただし、松尾統章氏が松尾組の代表や役員を務めた事実や、現在の経営に関与していることを示す公式情報は確認できません。ここでは、会社の公式沿革と本人の発言をもとに、松尾組との関係を整理します。
父が経営した建設会社の社名は松尾組?
松尾統章県議の父・松尾剛健氏が経営していた建設会社は、北九州市に本社を置く株式会社松尾組です。
株式会社松尾組の公式サイトによると、同社は1938年10月に創業しました。1973年11月に株式会社松尾組へ組織変更し、1975年3月に松尾剛健氏が代表取締役へ就任しています。
現在、松尾組が展開している主な事業は次のとおりです。
- 建設事業
- 建築事業
- 道路舗装事業
- 砕石事業
- 都市開発事業
- 不動産関連事業
公共施設や道路、住宅、商業施設などを手掛け、北九州市を中心に地域のインフラ整備へ関わってきた建設会社です。
松尾統章氏もインタビューで、父が建設会社の社長を務めていたことを明らかにしています。幼い頃は父の姿に憧れ、自分も将来は建設会社の社長になりたいと思っていたそうです。
その後、父・松尾剛健氏は建設会社の経営から政治の世界へ進み、福岡県議を務めました。
したがって、「松尾統章県議の父が経営していた会社は松尾組なのか」という疑問については、株式会社松尾組が公開している公式な沿革から確認できると結論づけられます。
松尾組との関係は公式資料で確認できる
松尾統章県議と松尾組には家族と勤務歴を通じた関係がありますが、現在の経営への関与は確認されていません。
父・松尾剛健氏と松尾組の関係は、同社の公式サイトに「1975年3月、代表取締役 松尾剛健 就任」と記載されていることから確認できます。
一方、松尾統章氏は第一経済大学を卒業した後、家族が経営する建設会社で経理を担当しました。その後は、グループのビルメンテナンス会社で営業にも携わったと本人が語っています。
公開情報から確認できる内容と、確認できない内容を整理すると、次のようになります。
| 確認項目 | 公開情報から分かること |
|---|---|
| 父と松尾組の関係 | 松尾剛健氏が代表取締役を務めた |
| 松尾統章氏の勤務歴 | 家族の建設会社で経理、グループ会社で営業を経験 |
| 松尾組の代表交代 | 1990年7月に松尾茂行氏が代表取締役へ就任 |
| 松尾統章氏の役員歴 | 代表取締役や取締役を務めた公式情報は確認できない |
| 現在の経営への関与 | 経営に関与していることを示す公式情報は確認できない |
| 現在の企業関係 | 2019年4月にエア・ウォーターグループへ参入 |
このため、松尾統章氏について「松尾組を経営している」「父から会社を継いだ」と記載するのは正確ではありません。
父が松尾組の社長を務め、本人も家業に関わった経験はありますが、現在の政治活動と松尾組の経営は分けて考える必要があります。
父の政界転身後は弟が建設会社を継承
松尾統章氏は、父・松尾剛健氏が政治家へ転身した後、父の弟が建設会社を継いだと説明しています。
株式会社松尾組の公式沿革では、松尾剛健氏が1975年3月に代表取締役へ就任し、1990年7月に松尾茂行氏が新たな代表取締役へ就任したことが確認できます。
一方、松尾統章氏はインタビューで、父が政界へ進んだため、父の弟が建設会社を継いで社長になったと語っています。
ただし、松尾組の公式サイトには、松尾茂行氏と松尾剛健氏の続柄までは掲載されていません。
そのため、松尾茂行氏について本文側で「松尾剛健氏の弟」と断定するのではなく、次の2つの事実を分けて捉えるのが適切です。
- 松尾統章氏は、父の弟が建設会社を継いだと説明している
- 松尾組の公式沿革では、1990年に松尾茂行氏が代表取締役へ就任している
松尾統章氏自身も大学卒業後は家業に関わっていましたが、松尾組の代表を引き継いだわけではありません。
父の病気をきっかけに後援会活動へ関わり、1999年の父の急逝後は政治の道へ進みました。この経緯は前章で紹介したとおりです。
つまり、松尾家では、建設会社の経営は父の弟が担い、政治活動は松尾統章氏が受け継ぐ形になったと整理できます。
現在の公開情報を見る限り、松尾統章氏は松尾組の経営者ではなく、福岡県議として政治活動を続けています。
松尾統章県議の学歴・経歴

松尾統章県議は、北九州市内の小中学校と福岡県立北筑高校を経て、第一経済大学を卒業しました。
大学卒業後は、家族が経営する建設会社で経理を担当し、グループ会社では営業も経験しています。当時は政治家になるつもりはなく、民間企業で働いていました。
しかし、福岡県議選告示前日に父が急逝したことで、26歳で県議選へ立候補。その後は7期にわたって当選を重ね、第63代福岡県議会議長などを歴任しています。
北筑高校から第一経済大学へ進学
松尾統章県議は、福岡県立北筑高校を卒業した後、現在の日本経済大学にあたる第一経済大学へ進学しました。
松尾統章氏の公式プロフィールに掲載されている学歴は、次のとおりです。
- 1985年:北九州市立大原小学校卒業
- 1988年:北九州市立八児中学校卒業
- 1991年:福岡県立北筑高等学校卒業
- 1997年:第一経済大学卒業
小学校から高校までは、地元・北九州市内の学校に通っています。
出身高校の北筑高校は、北九州市八幡西区北筑にある県立高校です。松尾統章氏は卒業後も母校との関係を持ち、公式プロフィールでは北筑高校同窓会の副会長を務めていると紹介されています。
高校卒業後に進学した第一経済大学は、福岡県太宰府市に本部を置く私立大学です。
同大学は2007年に福岡経済大学、2010年に日本経済大学へ改称しました。そのため、松尾統章氏の学歴にある「第一経済大学」は、現在の日本経済大学にあたります。
なお、卒業した学部や学科については、本人の公式プロフィールに記載されていません。
ネット上には学部などに関する情報も見られますが、本人や大学が公表していない内容は断定できません。確認できる学歴は、北筑高校から第一経済大学へ進み、1997年に卒業したという点までです。
大学卒業後は家業で経理と営業を経験
松尾統章氏は第一経済大学を卒業後、家族が経営する建設会社で経理を担当し、グループ会社では営業を経験しました。
日本経済大学が公開した本人へのインタビューによると、大学卒業後は福岡の建設会社で経理の仕事を担当しています。
父・松尾剛健氏は、北九州市に本社を置く株式会社松尾組の代表取締役を務めていました。松尾統章氏も幼い頃は父に憧れ、将来は建設会社の社長になりたいと思っていたそうです。
その後は、グループのビルメンテナンス会社に移り、営業にも携わりました。
本人は当時について、政治の世界へ進むとは考えていなかったと振り返っています。父や祖父が議員を務めていたものの、自分は政治家にならないと公言していた時期もありました。
松尾統章氏が株式会社松尾組の代表取締役や取締役を務めたことを示す公式資料は確認できません。現在、同社の経営に関与しているという情報も公表されていません。
したがって、松尾統章氏は松尾組の経営を引き継いだのではなく、家業で経理や営業を経験した後、父の病気をきっかけに政治活動へ関わるようになったと整理するのが正確です。
父の急逝後に26歳で福岡県議へ初当選

松尾統章氏は、父・松尾剛健氏が県議選告示前日に急逝したことを受け、26歳で福岡県議選へ立候補しました。
松尾統章氏が25歳だった1998年秋頃、福岡県議を務めていた父の病気が判明します。
当時、福岡市内のグループ会社で働いていた松尾統章氏は、家族から呼び戻され、父の後援会活動を支えるようになりました。
しかし、松尾剛健氏は福岡県議選告示前日の1999年4月1日、55歳で急逝します。
松尾統章氏の県政報告には、父の突然の死によって「突然、候補に推された」と記載されています。以前から後継候補として準備していたのではなく、告示直前に出馬することになったのです。
松尾統章氏は父の遺志を継ぐ形で、北九州市八幡西区選挙区から福岡県議選へ立候補しました。
十分な準備期間がない中で約2万票を獲得し、26歳で初当選。翌月には福岡県議会の警察常任委員会副委員長へ就任しました。
この経緯を見ると、松尾統章氏の政治家としての出発点は、あらかじめ計画されたものではなかったことが分かります。
会社員として働いていた青年が、告示前日の父の急逝によって突然候補となり、福岡県議へ初当選したという出来事が、その後の政治人生の始まりになりました。
県議7期と第63代福岡県議会議長を歴任
松尾統章氏は1999年の初当選以降、7期にわたって福岡県議を務め、第63代福岡県議会議長などの要職を歴任しています。
本人の公式プロフィールと福岡県議会が公表している主な経歴は、次のとおりです。
| 年月 | 主な経歴 |
|---|---|
| 1999年4月 | 福岡県議会議員に初当選 |
| 1999年5月 | 警察常任委員会副委員長に就任 |
| 2003年4月 | 福岡県議会議員に2期目当選 |
| 2003年5月 | 警察常任委員会委員長に就任 |
| 2007年4月 | 福岡県議会議員に3期目当選 |
| 2007年5月 | 自民党福岡県連政務調査会長に就任 |
| 2011年4月 | 福岡県議会議員に4期目当選 |
| 2011年5月 | 福岡県議会議会運営委員長に就任 |
| 2013年5月 | 第63代福岡県議会議長に就任 |
| 2015年4月 | 福岡県議会議員に5期目当選 |
| 2015年5月 | 自民党福岡県議団幹事長に就任 |
| 2019年4月 | 福岡県議会議員に6期目当選 |
| 2019年5月 | 自民党福岡県連幹事長に就任 |
| 2023年 | 福岡県議会議員に7期目当選 |
| 2023年5月 | 自民党福岡県議団会長に就任 |
| 2026年8月 | 自民党福岡県議団会長を辞任する意向を表明 |
2013年に福岡県議会議長へ就任した際は40歳でした。当時の報道では、県政史上2番目の若さでの議長就任と紹介されています。
初当選直後の委員会副委員長から始まり、議会運営委員長、県議会議長、自民党県議団幹事長・会長へと役職を重ねてきました。
なお、松尾統章氏は2026年8月3日、自民党福岡県議団会長を辞任する意向を表明しています。一方、議員辞職は否定しているため、県議団会長の辞任と福岡県議の辞職を混同しないよう注意が必要です。
松尾統章氏の政治経歴は、26歳での突然の初出馬から始まり、県議7期、第63代福岡県議会議長へと続いています。
いかがでしたでしょうか?
松尾統章県議は、北九州市議だった祖父・松尾武氏、福岡県議だった父・松尾剛健氏に続く、政治家三代目にあたります。
建設会社の家業に携わった経験を持ちながら、父の急逝をきっかけに政治の道へ進み、26歳で県議に初当選しました。
父や祖父から受け継いだ政治信条が、今後の活動にどのように表れるのか引き続き注目されます。