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『轟轟戦隊ボウケンジャー』のボウケンレッド役で知られ、2026年の『24時間テレビ49』スペシャルドラマ『幸せはある』では、つんく♂さん役を演じる高橋光臣さん。
「妻は誰?」「子供は何人?」「父親はどんな人?」と家族について気になる人も多いでしょう。
今回は、妻・宮下ともみさんとの馴れ初めや結婚、3人の子供、父親や実家をはじめ、ラグビーに打ち込んだ若い頃からボウケンジャーで注目されるまでの経歴を詳しく紹介します。
高橋光臣の妻・宮下ともみと子供

高橋光臣さんは、2014年に女優の宮下ともみさんと結婚し、現在は3人の男の子を育てる父親です。
2人の出会いは、高橋さんにとって初舞台となった作品での共演でした。2018年に長男、2020年に次男が誕生し、2024年12月には第3子となる三男の誕生を公表しています。
さらに高橋さんは、子供のために始めたお菓子作りが一冊の本になるほど上達。俳優としての姿とはまた違う、家庭での素顔も見えてきました。
妻・宮下ともみとの馴れ初めや結婚は?
高橋光臣さんの妻は女優の宮下ともみさんで、2008年の舞台『ダブルブッキング』で出会い、2009年ごろからの交際を経て2014年1月1日に結婚しました。
実は『ダブルブッキング』は、高橋さんにとって人生初の舞台でした。俳優として新たな経験に挑んだ作品が、将来の妻との出会いの場にもなったことになります。
2人は共演後の2009年ごろから交際を始め、約5年を経て結婚。2014年元日の正午に、それぞれのブログで入籍を報告しました。
宮下さんは当時、高橋さんについて、何事にも真っすぐ進む心の強さと、優しく純粋な心を持った人だと紹介しています。自分にはない部分を多く持つ高橋さんに惹かれ、一緒に生きていきたいと思うようになったことも明かしました。
一方の高橋さんも、結婚によって役者としても一人の男性としても、新たなスタートラインに立ったという決意を表明しています。
| 年 | 夫婦・家族の出来事 |
|---|---|
| 2008年 | 舞台『ダブルブッキング』で共演 |
| 2009年ごろ | 交際スタート |
| 2014年1月1日 | 結婚 |
| 2018年 | 第1子誕生 |
| 2020年 | 第2子誕生 |
| 2024年12月 | 第3子誕生を公表 |
初舞台での出会いから夫婦となり、現在は3人の息子を育てる5人家族。高橋さんの家族の歩みは、俳優としてのキャリアと並行するように続いてきました。
子供は3人!全員男の子で年齢は?

高橋光臣さんと宮下ともみさんには3人の子供がおり、全員男の子です。長男は2018年2月19日、次男は2020年2月2日に誕生し、2024年12月には三男の誕生が公表されました。
2026年8月現在、長男は8歳、次男は6歳です。三男については正確な生年月日が公表されていないため、現在の年齢は断定できません。
| 子供 | 誕生日・公表時期 | 2026年8月現在 |
|---|---|---|
| 長男 | 2018年2月19日 | 8歳 |
| 次男 | 2020年2月2日 | 6歳 |
| 三男 | 2024年12月に誕生を公表 | 正確な年齢は公表されていません |
長男が誕生したとき、高橋さんは自身のブログで、3002グラムの男の子だったことを報告しました。入院から誕生までは約32時間。初めて我が子を抱いたときの感覚が腕に残っていると、父親になった喜びをつづっています。
次男は2020年2月2日の朝に誕生。偶然にも「令和2年2月2日」に第2子という、「2」が並ぶ記念日になりました。さらに2024年12月には第3子となる男の子の誕生を報告。
その発表方法が、高橋さんらしいものでした。自らホールケーキを作り、完成したケーキの中から「高橋家に第3子が産まれました!おとこのこ!!」というメッセージを登場させたのです。
宮下さんも、赤ちゃんが生まれた瞬間に兄2人がとても喜んでいたことや、早くも弟をかわいがっている様子を明かしています。
長男8歳、次男6歳、そして三男という3兄弟を育てる5人家族が、高橋光臣さんの現在の家族構成です。
家族のためにスイーツ作り!イクメンな素顔

高橋光臣さんがお菓子作りを始めたきっかけは「子供のため」で、2025年にはレシピ本『俺とスイーツ~家族のためのお菓子作り~』を出版しています。
現在は所属事務所の公式プロフィールにも「スイーツ作り」が趣味として掲載されています。ただし、最初から料理上手だったわけではありません。
KADOKAWAによると、高橋さんは料理もほぼ未経験の状態から、家族に喜んでもらいたいという思いでお菓子作りを始めました。2023年7月ごろからInstagramに作品を投稿。
エクレアやタルト、ロールケーキ、どら焼きなど、洋菓子から和菓子までレパートリーを増やしていきました。
そして2025年3月12日には、自身初の書籍『俺とスイーツ~家族のためのお菓子作り~』を発売。初心者でも挑戦しやすい37種類のレシピに加え、失敗談やお菓子作りを続けてきた理由も収録されています。
撮影には上の子供たちも参加し、父親と一緒にお菓子作りを楽しみました。さらに2025年7月には、次男と夕張メロンのロールケーキ作りに挑戦。
高橋さんが「ゆっくり混ぜてね」と声をかけながら見守り、完成後は親子で味わってハイタッチする様子も公開されています。
高橋さんのお菓子作りを時系列で見ると、特徴がより分かりやすくなります。
- 子供のためにお菓子作りを始める
- 2023年からSNSで作品を継続して公開
- 2024年、第3子誕生を手作りケーキで報告
- 2025年、37レシピを収録した本を出版
- 現在は息子と一緒にお菓子作りを楽しむ
単なる趣味として始めたのではなく、「家族に喜んでもらいたい」という思いが一冊の本にまで発展したところに、高橋さんらしさがあります。
ラグビーで鍛え、ボウケンレッドとしてアクションをこなしてきた高橋さんが、家庭では3人の息子を育てながら繊細なスイーツを作る。この意外な一面も、高橋光臣さんという人物を知るうえで面白いポイントです。
そして2026年の『24時間テレビ49』スペシャルドラマ『幸せはある』では、自身と同じく3人の子供を持つつんく♂さんを演じます。
俳優として積み重ねてきた経験だけでなく、3児の父となった高橋さんが家族を持つ男性をどう表現するのかにも注目が集まりそうです。
※本項は2026年8月29日時点の高橋光臣さん・宮下ともみさん本人の発信、スターダストプロモーション、KADOKAWA、ORICON NEWSなどの公開情報をもとに作成しています。子供については、両親が公表している範囲の情報のみ掲載しています。
高橋光臣の父親や実家・家族構成

高橋光臣さんは大阪府出身。父親については不動産関係の仕事をしていたと報じられており、高橋さん自身も大学在学中に宅建を取得しています。
しかし、大学卒業を前に人生を見つめ直す出来事が重なり、選んだのは家業ではなく俳優の道でした。
父親の氏名や会社名、母親の職業などは公表されていませんが、「家業を継ぐつもりだった青年が、なぜ俳優になったのか」をたどると、高橋さんの生い立ちや人生の転機が見えてきます。
父親はどんな人?職業についても調査
高橋光臣さんの父親は不動産関係の仕事をしていたと報じられており、高橋さん自身も大学卒業後に親の仕事を継ぐことを考えていました。
高橋さんは東洋大学法学部法律学科に在学中、宅地建物取引に関する資格(宅建)を取得しています。所属事務所の公式プロフィールにも、資格として「宅地建物取引士」が掲載されています。
週刊女性PRIMEでは、父親が不動産の仕事をしていたこともあり、高橋さんは大学在学中に宅建を取得し、家業を継ごうとしていたと報じられています。
俳優になることだけを考えて学生時代を過ごしていたわけではなく、大学卒業後には親の仕事を継ぐという現実的な将来も考えていたことになります。
ところが、卒業を控えた時期に人生観を大きく変える出来事がありました。
母校・常翔学園のインタビューで、高橋さんは高校時代の1学年下の後輩と、東洋大学時代の2学年下の後輩を相次いで亡くしたことを明かしています。
身近な人との別れを経験したことで、「自分も明日死ぬかもしれない。本当にやりたいことは何だろう」と、自分の人生を見つめ直すようになったそうです。
そんな時期に出会ったのが、2003年公開の映画『ラスト サムライ』でした。それまで映画をほとんど見ていなかった高橋さんは、渡辺謙さんの演技に強い衝撃を受けます。
そして、自分の純粋な気持ちを大切にしてみようと考え、俳優という新しい世界へ進む決意をしました。
宅建まで取得して親の仕事を継ぐことを考えていた青年が、大学卒業を境に俳優へ。
この大きな進路変更は、高橋光臣さんの経歴の中でも特に印象的な転機です。
なお、「父親は不動産会社の社長」とする情報もありますが、今回確認した本人・所属事務所・母校などの公式情報から役職や会社名までは確認できませんでした。
実家はどこ?大阪で育った少年時代

高橋光臣さんは大阪府出身ですが、実家の詳しい住所は公表されていません。学生時代は大阪の啓光学園高校でラグビーに打ち込んでいました。
高橋さんは1982年3月10日生まれ。高校は、現在の常翔啓光学園高校にあたる啓光学園高校へ進学しました。
同校は高校ラグビーで実績を持つ学校として知られ、高橋さんもラグビー部に所属。2000年に啓光学園高校を卒業すると、東洋大学法学部法律学科へ進学し、大学でもラグビーを続けました。
母校のインタビューによると、高橋さんの高校3年時のチームは大阪府予選で優勝候補とされながら、初戦で逆転負けを経験しています。
予想していなかった敗戦に現実を受け止められない選手たちへ、監督が放ったのが「悔しかったら一流になれ!」という言葉でした。この言葉は高橋さんの心に強く残ったそうです。
その後、東洋大学でもラグビーを続けましたが、大学卒業後に選んだのはラグビー選手でも、当初考えていた親の仕事でもありませんでした。
「自分は何の世界で一流になるのか」を考えた末、俳優の世界へ飛び込んだのです。
そして2006年、24歳のときに『轟轟戦隊ボウケンジャー』で明石暁/ボウケンレッド役に抜擢されます。
大阪でラグビーに打ち込んだ高校生が、恩師の「一流になれ」という言葉を胸に、まったく違う世界で主演をつかんだ。
高橋さんの少年時代を知ると、ボウケンレッドで見せた身体能力や真っすぐな役柄にも、学生時代の経験が重なって見えてきます。
兄弟はいる?両親を含めた家族構成
高橋光臣さんの両親や兄弟については、本人や所属事務所から詳しい家族構成が公表されているわけではありません。
父親については、不動産関係の仕事をしていたとする報道があります。一方、母親については氏名・年齢・職業などの詳しいプロフィールは公表されていません。
兄弟については、人物データベースなどで「姉がいる」「姉の影響で剣道を始めた」という情報が掲載されています。
ただし、今回確認したスターダストプロモーションの公式プロフィールや母校の公式インタビューでは、姉についての記載を確認できませんでした。
そのため、現時点で「姉がいる」と公式情報として断定するのは控えます。
| 家族 | 確認できる情報 |
|---|---|
| 父親 | 不動産関係の仕事をしていたと報じられている |
| 母親 | 氏名・職業などは公表されていない |
| 兄弟姉妹 | 姉がいるとする二次情報はあるが、公式情報では確認できず |
| 高橋光臣さん | 1982年3月10日生まれ・大阪府出身 |
家族の詳しいプロフィールは多く公表されていませんが、高橋さん本人の人生を追うと、家庭と進路の関係が見えてきます。
大学時代には宅建を取得し、卒業後は親の仕事を継ぐことを考えていた高橋さん。それでも身近な人との別れを経験し、『ラスト サムライ』で渡辺謙さんの演技に衝撃を受けたことで、自分自身が本当に挑戦したい俳優の世界へ進みました。
そして現在、高橋さん自身も妻・宮下ともみさんとの間に3人の息子を持つ父親になっています。2025年のインタビューでは、子供が生まれる前は厳しい父親になろうと思っていたものの、実際に父親になると「可愛くて仕方ない」と感じるようになったことを明かしています。
さらに、子供が生まれたことで、自分の命より大切な存在ができたと感じ、家族を題材にした映画の受け止め方まで変わったそうです。
親の仕事を継ぐことを考えていた青年が、自分の道を選んで俳優となり、今度は自らが3人の子供を育てる父親になった。
実家について公表されている情報は決して多くありませんが、この人生の流れを見ると、高橋光臣さんの「家族」というテーマが現在までつながっていることが分かります。
次の章では、そんな高橋さんがラグビーに打ち込んだ若い頃から、俳優を志し、24歳でボウケンレッドをつかむまでの歩みをさらに詳しく見ていきます。
※本項は2026年8月29日時点のスターダストプロモーション、学校法人常翔学園の公式インタビュー、高橋光臣さん本人のインタビュー、信頼できる報道などの公開情報をもとに作成しています。一般人である家族については、公式に確認できない氏名・勤務先・住所などを記載していません。
高橋光臣の若い頃とボウケンジャー時代

高橋光臣さんの若い頃をたどると、現在の俳優としての姿につながる意外な経験が見えてきます。
中学2年生でラグビーを始め、高校・大学まで競技を継続。しかし大学卒業を前に人生を見つめ直し、まったく経験のなかった俳優の世界へ飛び込みました。
そして2006年、23歳で『轟轟戦隊ボウケンジャー』の明石暁/ボウケンレッド役に抜擢。その後、朝ドラや大河ドラマへ活躍の場を広げていきます。
若い頃はラグビーに熱中!高校・大学は?
高橋光臣さんは中学2年生でラグビーを始め、啓光学園高校から東洋大学まで競技を続けた本格的なラグビー経験者です。
高橋さんは幼少期から、さまざまなスポーツに取り組んでいました。ラグビーを始めたのは中学2年生のとき。地元の公立中学校に創部されたばかりのラグビー部へ誘われたことが、競技との出会いだったそうです。
その後、ラグビー強豪校として知られる啓光学園高校(現在の常翔啓光学園高校)へ進学します。数ある強豪校の中から啓光学園を選んだ理由には、意外なエピソードがありました。
母校のインタビューで高橋さんは、校名に自分と同じ「光」という文字が入っていたことも理由の一つだったと振り返っています。「キラキラした感じがした」と感じたそうですが、実際に入部すると待っていたのは厳しい競争でした。
当時のラグビー部は、名将として知られる記虎敏和監督のもと、全国制覇を目標に掲げる強豪。部員は100人を超えていました。高橋さんは周囲の選手たちを見て、自分がやっていけるのか不安を感じたといいます。
午後6時に全体練習が終わっても、そこから居残り練習をするのが当たり前という環境でした。そんな高校時代に記虎監督から受けたのが、「悔しかったら一流になれ!」という言葉です。
この言葉は、高橋さんがラグビーを離れた後も心に残り続けました。2000年に啓光学園高校を卒業すると、東洋大学法学部法律学科へ進学。大学でもラグビーを続け、2004年に卒業しています。
| 時期 | 高橋光臣さんの歩み |
|---|---|
| 中学2年 | 地元の公立中学校でラグビーを始める |
| 高校時代 | 啓光学園高校ラグビー部で競技に打ち込む |
| 2000年 | 啓光学園高校を卒業 |
| 大学時代 | 東洋大学でもラグビーを継続 |
| 2004年 | 東洋大学法学部法律学科を卒業 |
ラグビー選手としてプロになったわけではありません。それでも、100人を超える部員の中で競争した経験や「一流になれ」という恩師の言葉は、その後の高橋さんの生き方にもつながっていきます。
では、大学までラグビーに打ち込んだ高橋さんは、なぜ競技とはまったく違う俳優の世界を選んだのでしょうか。
俳優を目指したきっかけとデビューまで
高橋光臣さんが俳優を目指した大きなきっかけは、身近な後輩との別れを経験して人生を見つめ直し、映画『ラスト サムライ』で渡辺謙さんの演技に衝撃を受けたことでした。
実は、高橋さんは子供の頃から俳優を夢見ていたわけではありません。東洋大学卒業後は、親の仕事を継ぐことを漠然と考えていたそうです。
そんな高橋さんの人生観を変える出来事が、大学卒業を迎える頃に重なりました。啓光学園時代の1学年下の後輩と、東洋大学時代の2学年下の後輩を相次いで亡くしたのです。
身近な人との別れを経験した高橋さんは、自分の人生もいつ終わるか分からないと考え、本当にやりたいことは何なのかと自問するようになりました。
そんな時期に見たのが、2003年公開の映画『ラスト サムライ』です。それまで映画をほとんど見てこなかったという高橋さんは、渡辺謙さんの演技に鳥肌が立つほどの衝撃を受けました。
そこで「自分の純粋な感情を大事にしてみよう」と考えます。さらに驚くのは、ここからの行動の速さです。
それまで俳優という仕事を考えたことすらなかった高橋さんは、すぐに芸能事務所へ応募しました。
2004年に東洋大学を卒業し、俳優の道へ。2005年には日本テレビ系『anego』第3話に出演し、同年の『ウォーターボーイズ2005 夏』では赤嶺役を演じました。
そして翌2006年、大きなチャンスが訪れます。スーパー戦隊シリーズ第30作『轟轟戦隊ボウケンジャー』の主人公・明石暁/ボウケンレッド役です。
大学卒業から約2年。ラグビー一筋だった青年が、映画一本に心を動かされて俳優へ転身し、20代前半で1年間にわたる特撮ヒーロー作品の主演を務めることになりました。
高橋光臣さんの若い頃を知るうえで、この大胆な進路変更は外せないエピソードです。
ボウケンレッドでブレイク!当時何歳だった?
高橋光臣さんは2006年2月19日に放送が始まった『轟轟戦隊ボウケンジャー』で主演の明石暁/ボウケンレッドを演じ、初回放送時は23歳でした。
高橋さんは1982年3月10日生まれです。そのため、2006年2月19日の初回放送時点では23歳。その約3週間後の3月10日に24歳となり、放送期間の大半は24歳でボウケンレッドを演じていました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品 | 『轟轟戦隊ボウケンジャー』 |
| 放送開始 | 2006年2月19日 |
| 役名 | 明石暁/ボウケンレッド |
| 放送開始時の年齢 | 23歳 |
| 24歳の誕生日 | 2006年3月10日 |
高橋さんにとって『ボウケンジャー』は、若手時代の大きな転機となった主演作です。一方で、現在のように幅広い世代から知られる俳優になるまでには、その後も経験を積み重ねています。
2010年にはNHK大河ドラマ『龍馬伝』に出演。2012年、30歳で出演したNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』の松岡敏夫役で、さらに幅広い視聴者から注目されました。
その後も『神谷玄次郎捕物控』『ノーサイド・ゲーム』『光る君へ』『大岡越前』シリーズなどに出演。2026年には映画『キングダム 魂の決戦』にも干央役で出演し、俳優として活動を続けています。
そして2026年、ボウケンジャー放送開始から20周年を迎えました。同年9月にはオリジナルキャスト6人が再集結する20周年イベントも予定されており、高橋さんにとって明石暁は20年を経ても大切な役であることがうかがえます。
さらに2026年には、もう一つ興味深い役との出会いがありました。『24時間テレビ49』スペシャルドラマ『幸せはある』のつんく♂役です。実は高橋さん、中学生時代からシャ乱Qの大ファンでした。
特に『ズルい女』のイントロに登場するサックスを吹いてみたくて、そのためだけに吹奏楽部へ仮入部したことがあったと本人が明かしています。中学生の頃といえば、高橋さんがラグビーを始めたのもちょうど同じ時期。
ラグビーに熱中する一方で、音楽ではシャ乱Qに憧れていた少年が、約30年後につんく♂さん本人を演じることになったのです。
ドラマでは高橋さんが、シャ乱Qの『上・京・物・語』『シングルベッド』『ズルい女』『いいわけ』などの歴代CDジャケットを再現。
最初に公開された劇中ビジュアルについては、つんく♂さん本人がSNSで「二度見した」と反応するほどの再現度が話題になりました。
23歳でボウケンレッドを演じてから20年。44歳になった2026年にはボウケンジャー20周年を迎え、同時に青春時代から憧れていたつんく♂さんを演じています。
若い頃のラグビー、俳優への突然の転身、ボウケンレッド、そして中学生時代の憧れだったつんく♂さん。
一見別々に見える高橋光臣さんの経験が、20年以上の俳優人生を経て現在の仕事へつながっているところに、高橋さんの経歴ならではの面白さがあります。
※本項は2026年8月29日時点の学校法人常翔学園による高橋光臣さんへのインタビュー、スターダストプロモーション、東映特撮ファンクラブ、日本テレビ、ORICON NEWSなどの公開情報をもとに作成しています。
いかがでしたでしょうか?
高橋光臣さんは、ボウケンレッドで注目されてから20年を経た現在も、幅広い作品で活躍を続けています。
妻・宮下ともみさんと3人の子供を大切にする父親としての一面と、ラグビーで培った行動力も高橋さんの魅力なのでしょう。
『幸せはある』でつんく♂さんをどう演じるのか、これからの活躍にも注目したいですね。
