*アフィリエイト広告を利用しています。
史上最年少で完全試合を成し遂げた、ロッテの佐々木朗希(ささき・ろうき)選手。
佐々木朗希選手は高校時代に球速163キロを記録し、甲子園出場は果たせませんでしたが、ドラフト会議では4球団から1位指名を受けて、ロッテに入団しています。
そんな佐々木朗希選手を育ててきた父親・母親はどんな人なのか、気になる人も多いと思います。
そこで今回の記事では、
・佐々木朗希の母親
・佐々木朗希の兄弟
の3つのポイントに沿って、佐々木朗希選手の家族について、ご紹介したいと思います。
佐々木朗希の父親の仕事は何?
出典元:Full-Count
佐々木朗希選手の父親の名前は、佐々木功太さんで、葬儀屋に務めるサラリーマンでした。
残念ながら、父・佐々木功太さんは、2011年3月11日の東日本大震災の津波で、祖父母と共に37歳で亡くなっています。
地震発生から5日後、3月16日に変わり果てた姿で発見されました。
電話が鳴り、「見つかりました。」と伝えられた時、佐々木朗希選手は、見つかった⁉」と、目を見開いて驚いたそうです。
「見つかりました」の真意を、当時9歳だった佐々木朗希選手には、察することが難しかった。
父・功太さんは、いつもニコニコと朗らかで、子煩悩で優しい人だったそうです。
功太さんは身長181㎝あり、野球経験者ではなくバスケットボール経験者でしたが、よくキャッチボールをしてくれてたとか。
キャッチボールをしてくれた父・功太さんは、「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言していたと言います。
父親の身長を多く超えて190㎝まで伸びた佐々木朗希選手は、毎朝、父と祖父母の写真に向かって、「行ってきます」と声をかけて、学校に行っていたそうです。
佐々木朗希選手が、2021年5月27日の対タイガース戦でプロ初勝利をあげた際、ウイニングボールを誰に渡すかとインタビューで聞かれ、「両親に渡したい」と即答しています。
それを聞いていた母親は、「私だけでなく、『両親に』と言ってくれたのが、本当に嬉しかった」と、涙したそうです。
続いては、佐々木朗希選手の母親について、見てみたいと思います。
佐々木朗希の母親が美人と話題!
出典元:Sporting News
佐々木朗希選手の母親の名前は、佐々木陽子さんです。
2019年に佐々木朗希選手がロッテとの契約する際、同席した時の陽子さんの年齢が46歳ですので、現在49歳です。
その時の画像を見て、佐々木朗希選手の母親が「美人!」と話題となりました。
出典元:スポニチ
母・佐々木陽子さんは、震災前までは陸前高田市で、7人家族で平和に過ごしていました。
地震が起きた時、陽子さんは仕事で隣の大船渡にいましたが、浸水で立ち往生してしまい帰宅できませんでした。
佐々木朗希さんら3兄弟は、津波から逃れようと皆で高台へ逃げ、避難所で一夜を明かしました。
母・陽子さんは、翌朝5時に車で3時間かけて陸前高田へ向かい、三兄弟と再会します。
最愛の夫と朗希選手の祖父母を亡くし、祖父はいまだ行方不明のままだそうです。
自宅は流され、仮設住宅の抽選にも当たらなかったため、親族のいる大船渡へ引っ越します。
その後は、女手一つで三兄弟を育ててきました。
母・陽子さんは、「長男の琉希が、父親代わりに弟2人の面倒を見てくれて、子どもたちはいつの間にかどんどん成長してくれました」と振り返っています。
陽子さんは一生懸命に働きながら、子供たちが野球を頑張る姿に励まされたそうです。
佐々木朗希選手のロッテとの入団交渉で同席した母・陽子さんは、「帽子を被ったり、ユニフォームを着ると入団するんだなと思いました。私よりしっかりしているので何とかやってくれますよ」と笑顔で話していました。
続いては、佐々木朗希選手の兄弟について、見てみたいと思います。
佐々木朗希の兄弟も野球選手⁉
出典元:日刊スポーツ
佐々木朗希選手は、三兄弟の次男です。
次男:佐々木 朗希(ろうき)さん(20歳)
三男:佐々木 怜希(れいき)さん(16歳?)
*年齢は2022年4月現在
兄弟の名前には、それぞれ『希』の文字が入っています。
「朗希」の名前の由来は、朗希選手が生まれた2001年に放送された、特撮ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』の登場人物「狼鬼(ろうき)」に由来し、3つ上の兄・琉希さんの発案だそうです。
佐々木朗希の兄
出典元:Facebook@東海新報兄の琉希さん
長男の琉希さんは、小学3年生から野球を始めており、大船渡市立第一中学校を経て、大船渡高等学校でも野球部に所属し、高校時代は4番打者でした。
高校卒業後は、東北学院大学教養学部へ進学しています。
琉希さんは野球を始めた頃から、弟・朗希さんもまねごとをするようになり、その頃から「自分が周りから教わったことは、全て教えようと思って」と、技術的の指導もしてきたそうです。
琉希さん曰く、幼い頃の朗希選手は、「球の回転がめちゃくちゃ悪かった。肘も上がらなくて、コーチに指摘されても言うことをきかなかった」そうです。
それを矯正しようと琉希さんは奮闘し、厳しすぎて喧嘩になることもあったとか。
さすがに、朗希選手が高校生になると、レベル的に指導は出来なくなりますが、琉希さんは「一番大変なのは母さんだぞ」とだけは伝えたそうです。
琉希さんがそう言ったのは、朝早くから三兄弟のお弁当を作り、ユニフォームを洗濯してくれた母・陽子さんの有り難さを感じているからですね。
佐々木朗希の弟
佐々木朗希選手の弟の名前は、佐々木怜希さんで、現在高校2年生です。
身長177㎝・体重68㎏、最高球速は137キロを記録しています。
弟・怜希さんも野球選手で、2017年時点で『猪川野球クラブ』で活躍しています。
メガネをかけている少年が、怜希さんです。
#楽天イーグルス杯 で岩手の #猪川野球クラブ が優勝です。決勝で青森の #十和田スリースターズ を4―0で破りました。先制のホームを踏み、ショートの守備でも再三、好プレーをみせた佐々木怜希内野手は、大船渡の147㌔右腕佐々木朗希投手の弟です。#学童野球 #rakuteneagles pic.twitter.com/KMlF9IE6YO
— 日刊スポーツ新聞社東北取材班 (@nikkan_tohoku) November 26, 2017
弟・怜希さんも二人の兄と同じく、大船渡市立第一中学校を経て、大船渡高等学校へ進み野球部に所属し、現在、内野手としてプレーしています。
佐々木朗希選手の活躍で、今後、怜希さんも注目されるのではないでしょうか。
★佐々木朗希選手の幼少期に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々の活躍が期待される佐々木朗希選手を、引き続き注目していきたいと思います。