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2024年の春のセンバツに出場する、八戸学院光星高校の投手の洗平比呂(あらいだい・ひろ)さん。
洗平比呂さんは3度目の甲子園となり、長い手足からの多彩な変化球と最速147キロを武器とし、その活躍に注目が集まっています。
そんな洗平比呂さんの父親は元中日のプロ野球選手だそうですね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、洗平比呂さんについてご紹介したいと思います。
洗平比呂さんの父親の名前は洗平竜也さんという方で、2001年から2003年まで中日ドラゴンズで活躍したプロ野球選手です。
父・竜也さんは青森県上北郡六戸町の出身で、1979年1月9日生まれの現在45歳です。
竜也さんは光星学院高校(現・八戸学院光星)の野球部の出身で、1年の時からエースとして活躍し、3年間で最速142キロのストレートを投げ込む速球派投手として、NPB球団スカウトに注目されました。
しかし、高校3年間は3年続けて決勝に出場するも、いずれも敗退しており、“悲運のエース”と称されたこともあったそうです。
高校卒業後、東北福祉大学へ進学した父・竜也さんは、大学4年の時の明治神宮大会をかけた試合で、19奪三振をマークしたことでNPBスカウトの評価が急上昇することに。
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そして、2000年のドラフト会議で、当時存在していた「逆指名制度」で中日ドラゴンズに入団することを宣言し、推定年俸1300万円、契約金1億円で入団しています。
しかし、父・竜也さんはプロ入りしたものの制球難に陥り、2003年に球団から戦力外通告を受け退団。
その後は愛知県内の企業で働きながら、2004年から社会人硬式野球チーム「東海REX」でプレーした後、2007年に現役を引退をしています。
その間、東海REXに在籍中の2004年に結婚し3児をもうけ、2014年8月には日本学生野球協会から資格回復の適性が認定され、同協会に加盟する高校・大学の硬式野球部での指導が可能となりました。
父・竜也さんは現在千葉県船橋市に住んでおり、会社員として働きながら、少年野球チームでコーチを務めています。
また、洗平比呂さんの名前の「比呂」は、あだち充さんの漫画『H2』の主人公・国見比呂(くにみ・ひろ)が由来で、父・竜也さんが「ヒーローになれますように」という願いを込めて名付けたそうです。
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洗平比呂さんは3人兄弟の真ん中で、2歳上の兄は野球選手です。
洗平比呂さんの兄の名前は洗平歩人(あらいだい・あると)さんという方で、2004年度生まれの今年20歳で、現在、国学院大学の野球部で投手として活動しています。
兄・歩人さんは千葉県船橋市の出身で、中学時代には「佐倉リトルシニア」でプレーし、2017年のジャイアンツカップと、2019年のリトルシニア全国選抜大会で優勝を経験しています。
兄の歩人さんも八戸学院光星高校の出身で、高校野球界で注目を集める存在で、高校時代にはエース兼主将としてチームを牽引してきました。
洗平比呂さんが1年生の時に、兄・歩人は3年生で、2022年の夏の甲子園大会では兄弟で出場を果たしており、2回戦では比呂さんが先発、歩人さんがリリーフとして登板し、兄弟のマウンドでの共演に大きな注目を集めました。
そんな洗平比呂さんと兄・歩人さんの性格は真逆だそうで、比呂さんは冷静で戦術的ですが、兄の歩人さんは情熱的でリーダーシップを発揮するタイプだということです。
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洗平比呂さんは千葉県船橋市の出身で、船橋市立二和小学校、船橋市立御滝中学校を経て、八戸学院光星高校へ進んでいます。
洗平比呂さんは二和小学校時代から野球を始め、軟式野球チームの「二和タイガース」に所属しており、小学6年生の時には千葉ロッテマリーンズJr.に選出。
御滝中学時代は「佐倉リトルシニア」でエースとして活躍し、リトルシニア全国選抜野球大会で4強入りを果たしました。
洗平比呂さんは八戸学院光星高校では、1年生の春から控えとしてベンチ入りし、1年生の夏の甲子園大会で全国先発デビューしました。
そして、エースナンバーを背負った2年生の夏の甲子園大会では、ベスト8まで進みチームを牽引してきました。
洗平比呂さんは投球の幅広さとメンタルの強さを兼ね備えており、さらなる高みを目指しています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな洗平比呂さんを、引き続き注目していきたいと思います。