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男子バレーボール日本代表として注目を集めている甲斐優斗さん。
身長200cmの大型アウトサイドヒッターとして活躍する一方、「兄もバレー選手なの?」「両親はどんな人?」「どこの高校や大学に通っていた?」と家族や経歴にも関心が集まっています。
甲斐優斗さんの兄はバレーボール選手の甲斐孝太郎さんで、両親にもバレー経験があることが知られています。
この記事では、甲斐優斗さんの兄や父親・母親などの家族構成をはじめ、高校・大学時代やバレーを始めたきっかけまで詳しく紹介します。
甲斐優斗の兄は甲斐孝太郎!兄弟を調査

男子バレーボール日本代表として注目を集めている甲斐優斗さん。
実は兄の甲斐孝太郎さんも現役のバレーボール選手で、現在はサントリーサンバーズ大阪でプレーしています。しかも甲斐兄弟は、単に「兄弟そろってバレー選手」というだけではありません。
小学生の頃から一緒にバレーを続け、高校は日南振徳高校、大学は専修大学と同じ道を歩んできました。幼い頃にはコートの中でケンカすることもあったという2人ですが、高校時代を境に関係にも変化があったようです。
ここでは、兄・甲斐孝太郎さんのプロフィールや兄弟の年齢差、2人がバレーボールを始めた背景について詳しく見ていきます。
兄・甲斐孝太郎もバレーボール選手

甲斐優斗さんの兄は、バレーボール選手の甲斐孝太郎(かい・こうたろう)さんです。
孝太郎さんは2001年11月5日生まれの宮崎県延岡市出身。現在はサントリーサンバーズ大阪に所属し、オポジットとしてプレーしています。
サントリーサンバーズ大阪の公式プロフィールでは身長188cm、最高到達点335cmと紹介されています。特に注目してほしいプレーとして挙げているのが、どんな状況でも攻めるサーブです。
チーム公式プロフィールでは、その強烈なサーブに「甲斐キャノン」という名前まで付けられています。
一方、弟の優斗さんも兄の持ち味について「サーブ」と答えており、兄弟の間でも孝太郎さんの大きな武器として認識されているようです。
そして甲斐兄弟のすごいところは、長い間同じチームでプレーしてきたこと。
日南振徳高校から専修大学へ進んだ経歴も共通しており、大学時代には兄弟そろって日本代表若手有望選手の合宿・海外遠征メンバーに選ばれました。
優斗さんは当時、スパイクが決まらないときに兄が決めてくれると「頼りになる」と話しています。孝太郎さんも弟について、一緒にいると心強く、相手チームにいたら嫌な存在だと語っていました。
兄弟でありながら、お互いを一人のバレーボール選手として認め合っていることが伝わってきます。
甲斐優斗と兄は何歳差?兄弟のプロフィール
甲斐優斗さんと兄・孝太郎さんのプロフィールを比較すると、次のようになります。
| 名前 | 甲斐孝太郎 | 甲斐優斗 |
|---|---|---|
| 生年月日 | 2001年11月5日 | 2003年9月25日 |
| 身長 | 188cm | 200cm |
| 出身地 | 宮崎県延岡市 | 宮崎県延岡市 |
| 出身高校 | 日南振徳高校 | 日南振徳高校 |
| 出身大学 | 専修大学 | 専修大学 |
| 現在の所属 | サントリーサンバーズ大阪 | 大阪ブルテオン |
2人の年齢差は約1歳10か月で、学年では2学年差になります。高校では孝太郎さんが3年生のときに、優斗さんが1年生。その後は同じ専修大学へ進み、再び兄弟で同じコートに立つことになりました。
現在では弟の優斗さんが身長200cm、兄の孝太郎さんが188cmと、弟の方が12cmほど高くなっています。ところが、昔から優斗さんの方が大きかったわけではありません。
孝太郎さんによると、自身が高校3年生だった頃にはまだ兄の方が身長が高く、弟に対して「チビ」と言うこともできたそうです。
ところが、その後に優斗さんの身長がぐんぐん伸びて立場が逆転。現在では日本代表でもひときわ目を引く200cmの大型アウトサイドヒッターとなりました。
兄弟の成長過程を知ると、「弟はいつからこんなに大きくなったの?」という点も興味深いところです。そして現在、孝太郎さんはサントリーサンバーズ大阪、優斗さんは大阪ブルテオンに所属しています。
長年同じユニフォームを着てきた兄弟が、現在は別々のSVリーグチームでプレーしているというのも、甲斐兄弟の注目ポイントといえそうです。
兄弟そろってバレーを始めたきっかけ
甲斐優斗さんがバレーボールを始めた背景には、両親の存在があります。大阪ブルテオンの公式プロフィールで、優斗さんはバレーボールを始めたきっかけについて、「両親がバレーボールをしていたから」と答えています。
兄の孝太郎さんも、サントリーサンバーズ大阪の公式プロフィールで、バレーを始めたきっかけを「親」と回答しています。つまり甲斐家は、兄弟が生まれる前からバレーボールと縁の深い家庭だったことが分かります。
そんな環境で育った兄弟は、小学生の頃から一緒にバレーを続けてきました。ただ、子どもの頃から今のような落ち着いた関係だったわけではありません。
孝太郎さんによると、小学生時代には毎日のようにケンカをしており、コートの中でもミスをするとお互いに言い合うことがあったそうです。優斗さん自身も、小学生の頃にはコート内で兄とよくケンカしていたことを認めています。
そんな兄弟関係に変化が訪れたのが高校時代でした。孝太郎さんが高校3年生、優斗さんが高校1年生となり、2人は日南振徳高校で一緒にプレーします。
親元を離れて生活するようになったことで、孝太郎さんは「ケンカしている場合ではなかった」と振り返っており、この頃からお互いを支える関係へ変わっていったようです。
そして大学でも再び同じチームとなり、2023年には兄弟そろって日本代表若手有望選手のフランス遠征へ。
小学生の頃にはコートで言い合っていた兄弟が、年月を重ね、日本代表を目指す立場で一緒に海外遠征するまでになったのです。
現在はそれぞれ別のチームでプレーしていますが、幼少期から高校、大学まで一緒にボールを追い続けてきた甲斐兄弟。
甲斐優斗さんの活躍を追ううえで、兄・孝太郎さんとの長いバレーボール人生も知っておきたいエピソードの一つです。
甲斐優斗の両親と家族構成を調査

出典元:毎日新聞
日本代表として活躍する甲斐優斗さんを見ていると、「どんな家庭で育ったのだろう?」と気になる人も多いのではないでしょうか。
実は甲斐優斗さんは、幼い頃からバレーボールがとても身近な環境で育っています。
父親は実業団でバレーを経験し、その後は少年バレーの指導者に。母親もバレーボール経験者で、現在まで優斗さんの競技生活を支え続けています。
さらに、兄の甲斐孝太郎さんもトップリーグでプレーする現役バレーボール選手です。まさにバレーボールと深いつながりを持つ甲斐家。
ここでは、父親・母親の経歴や優斗さんとの関係、兄を含めた家族について詳しく見ていきます。
父親もバレー経験者?職業や経歴は
甲斐優斗さんの父親は、甲斐晃宏さんです。晃宏さんは、9人制バレーボールの実業団でプレーした経験を持つ元選手でした。現役を退いた後は、宮崎県延岡市の延岡南バレーボールクラブで指導にも携わっていました。
そして甲斐優斗さんは、小学2年生の頃からバレーボールを始めています。つまり晃宏さんは、優斗さんにとって父親であると同時に、バレーボールの原点をつくった指導者でもあったのです。
優斗さんは父親について、バレーをしているときはとても厳しかった一方、家に帰ると優しい父親だったと振り返っています。
コートでは指導者として真剣に向き合い、家では父親として接する。そんなメリハリのある関係だったことがうかがえます。
しかし晃宏さんは、優斗さんが高校2年生だった2020年6月、大腸がんのため亡くなりました。当時48歳だったと報じられています。
優斗さんはその後、高校3年生で春高バレーのセンターコートに立ちました。2022年の春高バレーでは、父親に対して「センターコートでプレーできたことを伝えたい」という思いを口にしています。
また、2024年には「自分がバレーボールを楽しんでいれば父も喜ぶと思う」と語っており、現在の笑顔でプレーするスタイルにも父親への思いが込められているようです。
父・晃宏さんから教わったのは、バレーの技術だけではなかったのかもしれません。
母親もバレー経験者?家族との関係
甲斐優斗さんの母親は、甲斐照美さんです。照美さんもバレーボール経験者として知られており、甲斐家では両親ともにバレーに親しんできました。
父親だけでなく母親もバレー経験者だったことで、優斗さんにとってバレーボールは幼い頃から生活の一部だったようです。そして現在も、照美さんは優斗さんを応援する大きな存在になっています。
2024年の日刊スポーツの取材では、母親が宮崎から東京まで試合を見に訪れたり、優斗さんがフランスリーグでプレーしていた際もSNSなどを通して試合動画をチェックしていたことが紹介されています。
優斗さんも、母親について「本当にバレーボールが好き」と話しており、自分が日本代表として活躍することが母親の楽しみの一つになっているのではないかと語っています。
父親を亡くした後も、母親は変わらず息子たちのバレー生活を支えてきました。優斗さん自身も、これまで何不自由なくバレーをさせてもらったことへの感謝を語っています。
世界の舞台でプレーする息子と、それを宮崎から見守る母親。派手なエピソードではありませんが、現在の甲斐優斗さんを支えている家族とのつながりが感じられます。
なお、照美さんの現在の職業などについては、公表されている情報は確認できません。
甲斐優斗は何人家族?兄弟を含めた家族構成
甲斐優斗さんの家族として、現在公表情報から確認できるのは次のメンバーです。
| 続柄 | 名前 | バレーボールとの関係 |
|---|---|---|
| 父親 | 甲斐晃宏さん | 元9人制バレー実業団選手・少年バレー指導者 |
| 母親 | 甲斐照美さん | バレーボール経験者 |
| 兄 | 甲斐孝太郎さん | サントリーサンバーズ大阪所属 |
| 本人 | 甲斐優斗さん | 大阪ブルテオン・日本代表 |
特に注目されるのが、兄の甲斐孝太郎さんです。孝太郎さんも現役のバレーボール選手で、現在はサントリーサンバーズ大阪でプレーしています。
兄弟は小学生時代から一緒にバレーを続け、高校は日南振徳高校、大学は専修大学と同じ道を歩んできました。父親が実業団経験者、母親もバレー経験者、そして兄弟2人がトップレベルの選手。
ここまでバレーボールとのつながりが深い家庭は珍しいでしょう。
一方で、インターネット上には「妹がいる」「妹の名前はさくらさん」といった情報も見られます。
ただし、妹については本人や所属チーム、主要メディアなど信頼性の高い情報源で明確に確認できる資料が少なく、家族構成については情報が一致していません。
そのため、現時点では父・母・兄の存在は確認できる一方、妹を含めた正確な人数については断定できないというのが実情です。
確かなのは、甲斐優斗さんが幼い頃からバレーボールに囲まれた環境で育ってきたこと。父からバレーを教わり、母に支えられ、兄とは長年同じコートでプレーしてきました。
日本代表として世界で戦う現在の甲斐優斗さんをたどっていくと、その原点には家族とバレーボールを過ごした長い時間があったことが分かります。
甲斐優斗の高校・大学と経歴を調査

甲斐優斗さんは、高校時代から身長200cmの大型選手として注目を集め、その後は専修大学、日本代表、フランスリーグ、大阪ブルテオンへと活躍の舞台を広げてきました。
特に注目したいのが、大学進学後の急成長です。専修大学に入学した2022年に日本代表メンバーへ初選出され、大学3年生だった2024年にはパリオリンピックに出場。
さらにフランスリーグへの挑戦や全日本インカレ優勝も経験するなど、学生時代から国内外のトップレベルで経験を積んできました。
ここでは、甲斐優斗さんの出身高校や専修大学時代、日本代表入りから現在の大阪ブルテオンでの活躍まで、経歴を時系列で詳しく見ていきます。
出身高校は日南振徳高校

出典元:月刊バレーボール
甲斐優斗さんの出身高校は、宮崎県の日南振徳高校です。延岡市立南中学校を卒業後、日南振徳高校へ進学しました。
高校時代から恵まれた身長を生かしたプレーで注目され、3年生で出場した2022年の春高バレーでは背番号1をつけてチームをけん引しました。この大会で日南振徳高校は、なんと初出場ながら全国ベスト4に進出。
3回戦では前年度準優勝の駿台学園を破るなど快進撃を見せ、準決勝まで勝ち上がりました。甲斐優斗さん自身も大会の優秀選手賞に選ばれています。高校最後の全国大会で、チームの歴史をつくる結果を残したことになります。
当時から200cmという高さは大きな武器でしたが、甲斐優斗さんが目指していたのは「高さだけの選手」ではありませんでした。高校卒業後のインタビューでは、自身の高さを生かしながら、守備もできるアウトサイドヒッターを目指していることを語っています。
高校時代にはミドルブロッカーなどでプレーすることもありましたが、大学進学後はアウトサイドヒッターとしてプレーの幅を広げていきました。
攻撃だけでなくレシーブにも対応できる現在のスタイルは、高校から大学にかけて磨かれていったようです。そして高校卒業後は、2歳上の兄・甲斐孝太郎さんと同じ専修大学へ進学します。
ここから甲斐優斗さんのキャリアは、一気に日本代表、そして世界へと広がっていきます。
専修大学で成長し日本代表入り

甲斐優斗さんは2022年、専修大学経営学部へ進学しました。そして入学したその年、日本代表メンバーに初選出されます。まだ大学1年生になったばかりの18歳でした。
専修大学も当時、入学直後の学生が日本代表候補に選ばれたことをニュースとして紹介しており、早くから将来を期待されていたことが分かります。
さらに大学2年生となった2023年には、ネーションズリーグの日本代表メンバーに選出。パリオリンピック予選にも出場し、日本代表として国際大会の経験を積んでいきました。
そして甲斐優斗さんのキャリアを大きく変えたのが、フランスへの挑戦です。2023年の大学シーズン終了後、当時の男子日本代表監督フィリップ・ブラン氏からの勧めを受け、フランスのパリ・バレーへ加入しました。
大学生でありながらヨーロッパのプロリーグに身を置き、海外選手の高さやパワーを日常的に経験することになります。そして2024年にはネーションズリーグで日本代表の銀メダル獲得を経験。
その活躍も評価され、大学3年生ながらパリ2024オリンピック日本代表に選出されました。オリンピックでは日本男子代表の一員として世界最高峰の舞台を経験し、日本は最終的に7位となっています。
大学生のうちに「日本代表」「海外リーグ」「オリンピック」という3つの大舞台を経験したことになります。しかし、甲斐優斗さんの大学での活躍は日本代表だけではありません。
2024年12月には専修大学の一員として全日本インカレに出場。専修大学は大会を制し、創部以来初となる全日本インカレ優勝を果たしました。甲斐優斗さん自身も最優秀選手賞とサーブ賞を受賞しています。
高校時代の全国ベスト4から、大学では日本一へ。さらに同じ時期に日本代表や海外リーグでもプレーしていたことを考えると、専修大学時代の数年間が大きな飛躍の期間だったことが分かります。
大学卒業後の所属先と現在の活躍
甲斐優斗さんの現在の所属先は、SVリーグの大阪ブルテオンです。ただし、大阪ブルテオンとの関係が始まったのは大学卒業後ではありません。
2025年1月、専修大学3年生のときに特別指定選手として大阪ブルテオンへの加入が発表されました。同年2月からチームに合流し、2024-25シーズンのSVリーグに出場。
大阪ブルテオンのレギュラーシーズン優勝や、アジアチャンピオンズリーグ準優勝にも貢献しました。特別指定選手としての活動は2025年5月にいったん終了しましたが、その約2か月後の2025年7月30日、今度は2025-26シーズンの正式な新戦力として入団することが発表されました。
このとき甲斐優斗さんはまだ専修大学4年生でした。つまり、大学を卒業してからプロチームへ進んだというより、大学在学中からトップリーグでプレーし、そのまま大阪ブルテオンへ正式加入したという経歴になります。
そして2026年6月には大阪ブルテオンとの契約更新が発表され、2026-27シーズンも背番号15のアウトサイドヒッターとしてプレーすることが決まっています。
身長200cm、最高到達点350cmという高さは大きな武器。そこに海外リーグや日本代表で磨いてきたサーブ、ブロック、レシーブなどが加わり、アウトサイドヒッターとしてプレーの幅を広げています。
さらに2026年度も男子日本代表メンバーに選出。2026年9月現在は、愛知・名古屋で開催されている第20回アジア競技大会の日本代表として出場しています。
日本男子は9月27日のウズベキスタン戦、28日のカザフスタン戦、29日のパキスタン戦をいずれも3-0で勝利し、予選ラウンドを3連勝で終えました。
22歳となった甲斐優斗さんは、今や「将来を期待される大学生」から、日本代表の一員として国際大会で戦う選手へと立場を変えています。
日南振徳高校で全国ベスト4、専修大学で日本一、大学在学中にフランスリーグとパリ五輪を経験し、現在は大阪ブルテオンと日本代表でプレー。
高校卒業後わずか数年の間に、国内外のさまざまな舞台を経験してきたことが甲斐優斗さんの経歴の大きな特徴です。
まだ22歳という若さだけに、今後どこまでプレーの幅を広げていくのか、これからの成長にも注目が集まりそうです。
いかがでしたでしょうか?
甲斐優斗さんは、兄の甲斐孝太郎さんをはじめ、バレーボールと深いつながりを持つ家族の中で成長してきました。
高校・大学を経て日本代表へと飛躍し、現在は次世代を担う選手として注目されています。
これから国内外の舞台でどのような活躍を見せてくれるのか、今後の成長にも期待が集まりそうです。