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かつて新日本プロレスで“虎ハンター”の異名を取った小林邦昭(こばやし・くにあき)さん。
その小林邦昭さんが、2024年9月9日にガンで死去したと報じられ、世間の注目を集めています。
そんな小林邦昭さんの死因は何ガンだったのか気になりますよね。
そこで今回の記事では、
・小林邦昭(虎ハンター)の嫁、子供
・小林邦昭(虎ハンター)のマスク剝ぎ
の3つのポイントに沿って、虎ハンター・小林邦昭さんについてご紹介したいと思います。
小林邦昭(虎ハンター)の死因は何ガン?
虎ハンター・小林邦昭さんの死因は度重なるガンとの闘病によるものでした。
小林邦昭さんは、2000年4月の獣神サンダー・ライガー戦を最後に引退しましたが、最初にガンが発覚したのは1992年でその時は大腸ガンでした。
当時、小林邦昭さんはガンの事実は一切公表せず、「体調不良」として欠場し、大腸を20㎝近く切除する手術を受け、半年間の休養とリハビリを経て、1993年2月に復帰しました。
その後、1999年2月の平成維震軍として最後の試合を行った直後に、今度は肝臓がんが判明しており、大腸ガンは寛解せずに7年後に肝臓に転移していました。
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小林邦昭さんは手術で肝臓の半分を切除しましたが、腹部に50㎝にも及ぶ大きな手術痕が残ったため、引退を決意したそうです。
手術の痕は、大腸の時はタイツの下だからお客さんには見えないんですが、肝臓がんの手術は、ザクっと切って術痕は、今も残っていますが、50センチぐらいあるんで、隠すことはできません。タンクトップとかTシャツを着れば、続けることもできんたんですが、リングに上がる以上は、お客さんの前で体を隠すことは僕のプロレスラーとしてのプライドが許せなかった。だから辞めました。(引用元:スポーツ報知)
小林邦昭さんは、引退後も2度に渡りガンが肺に転移しており、手術は2回とも内視鏡で行っています。
その後、抗がん剤治療を続け、2020年の段階でPET検査(陽電子放射断層撮影)を年に1回受けてはいるものの、薬は飲んでいなかったそうですが、2024年9月9日に肝臓ガンで亡くなりました。
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小林邦昭(虎ハンター)の嫁や子供はいる!?
虎ハンター・小林邦昭さんには妻と娘が2人います。
小林邦昭さんの家族についてはあまり多くの情報が出回っていませんが、彼の引退試合の時には長女と次女がリングサイドで涙を流していたことが報じられています。
小林邦昭さんはプロレス界で非常に人気があり、特に1980年代は“虎ハンター”として知られていました。
小林邦昭さんの家族も、彼のプロレス界での活躍を支えていたことでしょうね。
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小林邦昭(虎ハンター)のマスク剝ぎが衝撃!
虎ハンターと知られた小林邦昭さんの「マスク剝ぎ」は、初代タイガーマスクのマスクを剥ぐことで、観客に大きな衝撃を与えました。
この行為はプロレス界では非常に珍しく、掟破りとされるものでした。
特に有名なのは、1982年10月26日に大阪で行われた試合で、初代タイガーマスクと小林邦昭さんは初の一騎打ちとなりました。
試合開始から15分前後に、小林邦昭さんは急にタイガーマスクを逆さづりにし、マスクの口元に手を入れ一気に裂いた瞬間でした。
この試合の視聴率は、録画中継でありながら22.2%を記録しており、翌週の2人の再戦でも小林邦昭さんはマスク剝ぎを敢行し、エプロン上から外側に向けタイガーマスクを磔にしてマスクを破りました。
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その瞬間を直にみた観客は悲鳴と怒号の渦となり、視聴率は23.7%を叩き出しています。
小林邦昭さんとタイガーマスクは計7回一騎打ちをしており、2人の抗争が続くにつれて、小林邦昭さんがタイガーマスクの後頭部のヒモを解くだけで、会場は子供たちの鳴き声や叫びと怒声で満たされたそうです。
小林邦昭さんが2度目に破った初代タイガーマスクのマスクは、378万円もの売値がつくほど価値が上がっていたと言います。
小林邦昭さんはタイガーマスクとの抗争劇で一気にブレイクし、また、「マスク剝ぎ」は小林邦昭さんが“虎ハンター”として地位を確立するきっかけとなり、彼のキャリアに重要な瞬間でもありました。
いかがでしたでしょうか?
小林邦昭さんのご冥福をお祈り申し上げます。