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1980年代に人気を博した女子プロレスラーのライオネス飛鳥さん。
そのライオネス飛鳥さんが、Netflixシリーズ『極悪女王』の配信により、再び注目を集めています。
そんなライオネス飛鳥さんの若い頃はどんな感じだったのか気になりますよね。
そこで今回の記事では、
の3つのポイントに沿って、ライオネス飛鳥さんについてご紹介したいと思います。
ライオネス飛鳥の若い頃は、プロレスラーとしての強さだけでなく、その可愛らしいルックスでも多くのファンを魅了しました。
さらに、「クラッシュギャルズ」の最盛期には歌手デビューも果たし、幅広い活動を展開し、一般のメディアでも大きな話題となりました。
そんなライオネス飛鳥さんの若い頃の画像を集めてみました。
ライオネス飛鳥さんは運動神経抜群で、プロレスの技術も高く、リング上でのカリスマ性は今なお語り継がれ、彼女のかっこいいという評価は十分に納得できますね。
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ライオネス飛鳥さんの本名は北村智子さんといい、1963年7月28日に東京都練馬区に生まれ、埼玉県蓮田市で育ちました。
ライオネス飛鳥さんは、蓮田市立黒浜中学校を経て、埼玉県立蓮田高等学校を中退後、1980年に全日本女子プロレスに入団しました。
同年5月にデビューを果たすと、1981年には全日本ジュニア王座を獲得し、1982年には全日本シングル王座を獲得し、プロレス界で大きな成功を収めました。
さらに、ライオネス飛鳥さんは長与千種さんと「クラッシュギャルズ」として一世を風靡し、1984年8月にはWWWA世界タッグ王座を獲得し、『炎の聖書』で歌手デビューを果たしました。
ライオネス飛鳥さんは1989年に一度引退しましたが、1994年に現役復帰し、その後も様々な団体で活躍しましたが、2005年4月に「GAEA JAPAN」の試合を最後に現役を引退しました。
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ライオネス飛鳥さんと長与千種さんは、1980年代に「クラッシュギャルズ」として活躍し、その後の女子プロレス界に多大な影響を与えました。
しかし、次第に長与千種さんの人気が、ライオネス飛鳥さんを上回るようになると、ライオネス飛鳥さんの中に嫉妬心や劣等感が芽生え、それが2人の間の確執の原因となったと言われています。
さらに、芸能活動でも劣等感を覚えていたライオネス飛鳥さんが、一方的に「芸能活動休止宣言」をしたことが決裂の決め手となり、1985年5月に長与千種さんが突然引退宣言してリングを去りました。
ライオネス飛鳥さんは「自分が取り残されたように思えて、この時は千種を恨んだ」と振り返っており、長与千種さんは「ずっとごめんねと思っていた」と後悔の思いを吐露しています。
胸の内を吐き出したことで両者は和解し、現在は良好な関係を築いているとのことです。
★長与千種さんの若い頃に関する記事は、こちらをご覧ください。
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ライオネス飛鳥さんは現在、銀座で会員制スナック『gangs』を経営しながら、解説を主とするタレント活動も行っています。
ライオネス飛鳥さんは、プロレスラーとしてのキャリアを終えた後、セカンドキャリアを考え始めた2003年に、親交のあった元女子シュートボクシング選手の仁あきらさんが経営する会員制ラウンジで働き始めました。
そこで、2年間、銀座の流儀や水商売の経営を学んだ後、2006年3月に銀座に自身のお店をオープンさせました。
お店の経営は18年目になりますが、コロナ禍で借金を抱え、あと10年かけて返済しないといけませんが、自分に課した『(来店客が)ゼロは出さない』を守り続け、従業員やお客様への感謝の気持ちを忘れずに頑張っているそうです。
★かつてライバル関係だったダンプ松本さんに関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなライオネス飛鳥さんを、引き続き注目していきたいと思います。