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日本で初めて国に“女性暴力団員”として認定された西村まこさん。
西村まこさんの本名は和代さんですが、「まこ」の意味は“悪魔の子”の「ま」と「こ」から来ており、若い頃からかなり所業が悪かったそうです。
そんな西村まこさんの若い頃が気になる人が多いようです。
そこで今回の記事では、
・西村まこの指がない理由
・西村まこの現在
の3つのポイントに沿って、西村まこさんについてご紹介したいと思います。
西村まこの若い頃は住吉会!
西村まこさんの若い頃は、東日本最大の広域暴力団「住吉会」の構成員でした。
西村まこさんは、親戚に預けられ、苦労して夜学に通い、県庁職員になった父親と、国会図書館職員の家庭に育ち、お金に苦労したことのない母親の間に生まれました。
西村まこさんは恵まれた家庭で育ちましたが、父親のスパルタ教育に問題があったようです。
真面目一本の父親によるスパルタ教育から逃れたい一心で、西村まこさんは中学2年の頃に出会った友人をモデルにし不良の道へ進みました。
やがてそれは暴走族たちとの付き合いに発展し、そこで喧嘩のやり方を学んだと言います。
その頃から喧嘩が強かった西村まこさんは、男子とも喧嘩上等のスタイルで付き合い、20歳の時に起こした傷害事件がきっかけで、住吉会傘下の杉野組の親分からスカウトをされヤクザになりました。
西村まこさんはこれまでに、1986年に喧嘩で逮捕され、懲役1年、執行猶予3年の判決を受け、さらに、1987年には覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けています。
西村まこさんは20代後半まで住吉会に所属していましたが、一度組から逃げ出し、30代で結婚と出産を経験した後、40代後半でまた住吉会に復帰しましたが、現在はヤクザを引退しています。
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西村まこの指がない理由は?
西村まこさんは左手の小指がありませんが、その理由は組のみんなのポン中を代表して親分に謝罪をしたからです。
西村まこさんがいた杉野組は建前では「シャブ禁止」でしたが、実際はポン中ばっかりだったそうで、親分にシャブの乱用がバレて怒り狂ったという事件が起きました。
その時、西村まこさんは本部長に呼ばれ「お前、指を詰めろ」と言われ、「分かりました」と返事した後、日本刀を用意して自分の部屋で自力で指を落としたとか。
西村まこさんは指を切断後、自分で歩いて病院へ行って処置をしてもらい、事務所に戻って懐紙に包んだ小指を本部長に渡して、ようやく一件落着したと言います。
その後、西村まこさんは「指落としの名人」になり、他の組員の指詰めを頼まれることもあり、少なくても5本は落としたことがあるそうです。
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西村まこの現在はNPO活動!?
西村まこさんは現在、NPO法人「五仁會」で元ヤクザや受刑者の更生支援活動を行っています。
西村まこさんは20代後半でヤクザを辞め、結婚と子育てを経て、40代後半でヤクザに復帰しましたが、50代はじめに、憧れだった竹垣会長(元山口組系組長・NPO法人「五仁會」代表)と知り合いました。
それをきっかけに、西村まこさんは五仁會の人々と一緒に街の清掃活動に参加するようになり、その一体感の心地よさと、竹垣会長自らが一生懸命に掃除に取り組み姿に感銘を受けたそうです。
西村まこさんは「会長の10分の1でも素晴らしい人間になれたら」「五仁會に貢献できたら」と思い、五仁會岐阜支局の立ち上げを行いました。
五仁會は「孤立させないこと」をモットーに、生きづらい立場の元ヤクザや受刑者を支援しています。
★西村まこさんの旦那さんに関する記事はこちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな西村まこさんを、引き続き注目していきたいと思います。