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GMOインターネットグループを率いる熊谷正寿さんは、20歳で結婚し、21歳で父親になった経験を語っています。
若い頃は父親の会社で働き、家庭を支えながら勉強する日々を送っていました。高校中退や放送大学での学び直しを経て、起業家として歩み始めた熊谷さん。
この記事では、妻や子供とのエピソード、実家の父親から受けた教え、若い頃の学歴と創業までの経歴を紹介します。資産についても、報道された時期と数字の意味を分けて整理します。
熊谷正寿の妻と子供|結婚と実家の父親

熊谷正寿さんは、若くして結婚し、仕事と勉強を続けながら家庭を支えた経験を語っています。経営者だった父親のもとで働いた日々や、成長した娘の誕生日を祝った投稿から、家族とのエピソードを紹介します。
20歳で結婚した妻|家計を支えるために働こうとした女性
熊谷正寿さんの妻は、夫が事業で成功する前の、生活に余裕がなかった時期をともに過ごした女性です。熊谷さんは20歳で結婚し、21歳で子供を授かったと語っています。
当時の熊谷さんは父親の会社で働き、学費と生活費を自分でまかなっていました。しかし、長時間働いても給与は安く、家計は厳しい状態だったそうです。
2003年の「ベンチャー通信」のインタビューでは、夜遅くに帰宅すると、妻がアルバイト情報誌を手に泣いていた出来事を明かしています。理由を尋ねると、生活費が足りないため、子供を保育所に預けてアルバイトを始めるつもりだと答えたといいます。
妻自身も働くことで、家族の生活を支えようとしていたことが分かるエピソードです。熊谷さんは、自分を信じて結婚してくれた妻を泣かせていることに、それまでの苦労とは比べものにならないほど悩んだと振り返りました。
妻の姿を見て、自分と家族の将来に向き合った熊谷さん。現在の華やかな経営者像の前には、暮らしの問題を抱えた若い夫婦の時間がありました。
出典:ベンチャー通信Online「熊谷正寿インタビュー」(2003年7月号掲載)
娘は1985年生まれ|30歳の誕生日に生まれ年のワインでお祝い
熊谷正寿さんの娘については、1985年生まれと読み取れる本人の投稿があります。2026年には41歳になる年齢で、すでに成人した娘さんです。
公式ブログには、2015年5月14日付で娘の誕生日を祝った投稿が掲載されています。そこでは、娘の生まれ年のワインとして「1985コシュデュリのムルソー」を選んだことを報告していました。
1985年生まれであれば、このときは30歳の節目。ワイン好きの熊谷さんが用意したのは、娘が生まれた年と同じ年のワインでした。娘の誕生を振り返りながら成長を祝う、父親としての一面が伝わる出来事です。
一方、今回確認した本人の発信には、娘さんの性格や仕事、本人の言葉を詳しく紹介した記述までは見当たりませんでした。具体的に伝えられるのは、大人になった娘の誕生日を父親が祝い、その喜びを発信したという親子のエピソードです。
出典:熊谷正寿公式ブログ「娘の誕生日に生まれ年のワインでお祝い」(2015年5月14日掲載)
実家の父親も経営者|父の会社で働いて学んだこと
熊谷正寿さんの父親は、飲食店・映画館・パチンコ店・不動産事業などを営んでいた実業家です。熊谷さんにとって、子供の頃の食卓は、父親から商売を教わる場所でもありました。
家族でレストランへ行くと、父親はテーブルや席の数を数えさせ、客単価と回転数から売り上げを考えるように教えたそうです。食事をしながら、店を経営する側の見方に触れていました。
10代後半には、店長が急に辞めて運営が難しくなった長野のパチンコ店について、自分に任せてほしいと申し出ます。業績不振の店を立て直そうと、家業で働く道を選びました。
入社後も特別扱いはなく、父親からは、低い給与で誰よりも働き、社員の手本になるよう求められたといいます。また、本を読み、生涯学び続けることも父の教えでした。熊谷さんは仕事の合間に読書や勉強会への参加を重ね、商売と学ぶ姿勢の両方を身につけていきました。
熊谷正寿の若い頃と学歴|高校中退後の学び

出典元:起業家倶楽部
熊谷正寿さんの学歴には、首席での高校入学、中退、社会人になってからの学び直しという転機があります。本人は、受験で努力した経験だけでなく、入学後の慢心や、中退を後悔した気持ちも語っています。その言葉から、若い頃の選択をたどります。
國學院高校に首席で入学|受験勉強に打ち込んだ理由
熊谷正寿さんが受験勉強に本腰を入れたきっかけは、志望校への合格は無理だと教師に言われた悔しさでした。本人によると、中学校ではあまり勉強せず、根拠なく「やればできる」と考えていたそうです。
志望したのは、青山学院と國學院高校。青山周辺の共学校で、華やかな高校生活を送りたいという憧れがあったと、後年のトークセッションで明かしています。
ところが進路相談では、当時の成績では難しいと教師から言われました。それを見返したいと思い、受験までの数カ月間、教科書や参考書を覚え込むほど勉強に取り組みます。
最終的には、試験日が同じだった二校のうち國學院高校を受験し、首席で合格。入学式では新入生総代としてスピーチも任されました。本人は、入学時に大学では東大を目指してほしいと期待を寄せられたことも振り返っています。
高校2年の夏に中退|本人が振り返った成績と当時の状況
首席で入学した熊谷正寿さんですが、高校2年の夏に中退しています。公式プロフィールでは、短期間の勉強で合格できた経験が、かえって自分の力を過信する原因になったと説明しています。
入学後は勉強をしなくなり、成績は同学年約600人のうち500番台まで低下。教師との関係も悪くなったと本人は振り返っています。
2006年のドリームゲートの取材では、当時は将来自分で起業しようという考えも、おぼろげながらあったと話しました。学校生活への気持ちが離れる中で、自主退学を選んだそうです。
中退後は、さまざまな仕事を知るためにアルバイトを経験。特にマクドナルドでは、接客や仕事を標準化するマニュアルに刺激を受け、後の経営でも参考にしたと語っています。学校を離れた後は、働く現場から商売の仕組みを学ぶ時期へと移っていきました。
放送大学で学び直し|仕事と学業を両立した20代
熊谷正寿さんは、1985年に放送大学へ第1期生として入学しています。高校を卒業していなかったため、当時の特修生制度を利用したと公式プロフィールに記しています。
学び直そうと思った背景には、同年代の友人たちが大学へ進んでいく姿がありました。本人は2014年のトークセッションで、高校中退を後悔し、このままではいけないと悩んでいた頃、新聞で放送大学の開講を知ったと説明しています。
高校の卒業資格がなくても、特修生として一定の単位を修得すれば正規の学生になる道がある。その仕組みに希望を感じ、千葉の本局へ願書を出しに行ったそうです。
その後は仕事が忙しくなり、在学期間満了で除籍となりました。ただ、学習はそこで終わらず、以後も独学を継続。後年の取材では、起業家の著書や財閥グループの歴史を読み、成功する事業の構造を考えていたと語っています。
熊谷正寿の資産|GMO創業から上場への経歴

熊谷正寿さんの資産形成を知るうえで、大きなポイントとなるのがGMOの事業成長と保有株式の価値です。2020年には、Forbes JAPANが資産10億ドル突破と報じました。
会社設立から株式公開までの歩みを振り返りながら、当時の資産報道と、その後に公開された株式保有情報を見ていきます。
1991年に会社設立|1999年の株式上場まで
熊谷正寿さんは、1991年5月にGMOインターネットグループの前身となる「株式会社ボイスメディア」を設立しました。公式沿革によると、創業時はマルチメディア事業を目的とする会社でした。
事業の方向性が大きく変わったのは1995年です。普及し始めたインターネットに注目し、同年11月に社名を「インターキュー株式会社」へ変更。インターネットのインフラやサービスの提供に事業を集中させました。
翌12月には、会員登録を必要としないインターネット接続サービス「interQ ORIGINAL」を開始します。さらに1997年には法人向けのドメイン名取得代行サービスにも取り組み、事業の幅を広げました。
そして1999年8月に株式を店頭公開。公式沿革では、インターネット事業への本格参入から3年8か月で実現したと紹介されています。1991年の会社設立と1995年のネット事業開始を分けて見ると、成長の流れがよく分かります。
出典:GMOインターネットグループ「会社沿革 1999年以前」
2020年に資産10億ドルと報道|当時の評価額を紹介
Forbes JAPANは2020年6月30日、熊谷正寿さんの保有資産が10億ドル、当時の換算で約1070億円を突破したと報じました。
背景にあったのは、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うインターネット需要の増加です。テレワークやオンライン学習、ネット通販などの利用が広がり、ネットインフラを手がけるGMOへの期待が高まりました。
同記事によると、GMOの株価は記事掲載時点で年初から約50%上昇。熊谷さんの保有資産の大半は同社の株式によるもので、株価の上昇が資産評価を押し上げたとされています。
ここで押さえておきたいのは、約1070億円という数字は、2020年当時の報道に基づく資産評価だという点です。年収や預金額を示す数字とは区別されます。保有株の価値や為替相場によって評価額も動くため、当時の金額と現在の資産額は分けて捉える必要があります。
出典:Forbes JAPAN「高校中退で資産10億ドル達成の日本のインターネット起業家」(2020年6月30日掲載)
株式保有情報で見る資産|個人名義と法人名義の違い
GMOインターネットグループの公式情報では、熊谷正寿さん本人と「株式会社熊谷正寿事務所」が、それぞれ別の株主として掲載されています。2026年9月末時点の保有状況は次のとおりです。
| 株主名 | 持株数 | 持株比率 |
|---|---|---|
| 熊谷正寿 | 8,990,911株 | 8.37% |
| 株式会社熊谷正寿事務所 | 35,716,600株 | 33.27% |
本人名義の株式は個人が直接保有するものですが、法人名義の株式は会社が保有するものです。同じ名前を含む法人であっても、両者の株式を単純に合算し、その時価を熊谷さん個人の純資産とするには、法人の所有関係や負債なども確認する必要があります。
また、保有株の時価は「株数×その時点の株価」で求められますが、個人の純資産には、ほかの資産や負債も関係します。
公開情報で具体的に確認できるのは、基準日時点の保有株数と持株比率です。これを2020年の資産報道と分けて読むことで、過去の評価額と現在の株式保有状況を整理できます。
出典:GMOインターネットグループ「株式の状況」(2026年9月末時点)
- 氏名:熊谷正寿(くまがい まさとし)
- 生年月日:1963年7月17日
- 年齢:63歳(2026年10月28日時点)
- 出身地:長野県
- 学歴:國學院高校中退、放送大学で学んだ経験あり
- 職業:実業家
- 所属:GMOインターネットグループ株式会社
- 役職:代表取締役グループ代表、会長兼社長執行役員・CEO、グループAI変革最高責任者・CAIO
いかがでしたでしょうか?
熊谷正寿さんの歩みには、若くして築いた家庭と、父親から受けた厳しい教えがありました。
高校中退後も学び続けた経験や、創業から上場までの挑戦から、その人物像が伝わります。
家族について語った言葉と経歴をたどることで、資産額だけでは見えない一面にも触れられます。