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第46回日本アカデミー賞で「最優秀助演女優賞」を獲得した、実力派女優の安藤サクラ(あんどう・さくら)さん。
安藤サクラさんは、幅広い演技力から“カメレオン女優”とも呼ばれ、世間から高く評価されています。
そんな安藤サクラさんの両親はどんな方なのでしょうか?
そこで今回の記事では、
・安藤サクラの兄弟
・安藤サクラの先祖
安藤サクラの両親が豪華!
安藤サクラさんの両親は、父親が俳優で映画監督の奥田瑛二(おくだ・えいじ)さん、母親がエッセイストでタレントの安藤和津(あんどう・かず)さんです。
それでは、安藤サクラさんの両親を詳しく見ていきましょう。
父親:奥田瑛二
安藤サクラさんの父親・奥田瑛二さんの本名は安藤豊明さん、出身は愛知県、1950年(昭和25年)3月18日生まれの73歳で、俳優・映画監督・画家として活動しています。
奥田瑛二さんの主な出演作品には、TVドラマ『宮本武蔵』や『男女7人夏物語』、映画『海と毒薬』や『千利休・本覚坊遺文』を始め、数多くのドラマや映画に出演。
2001年には『少女 an adolescent』で映画監督デビューをしています。
父・奥田瑛二さんは、小学5年生の時に大友柳太朗さんの『丹下左膳』を観て衝撃を受け、役者を目指しています。
高校3年生の時、「俳優になりたい」と家族に打ち明けるも、春日井市議会議員だった父親から猛反対されたため、「政治家を目指す」と説得して許可を得て、明治学院大学入学を機に上京。
父親の伝で衆議院議員の秘書となり、住み込み書生生活を2年ほど送りますが、上京はあくまで「俳優を目指すため」だと思い、ある日飛び出し、大学も中退しています。
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父・奥田瑛二さんは改めて役者を目指し、高校の先輩である俳優の天知茂(あまち・しげる)さんの付き人を2年務めますが、一緒にやってる先輩を見て将来が見えず、またしても夜逃げ同然に飛び出しました。
生活のために夜の仕事で食いつなぎ、お客さんに勧められモデルやCMの仕事を始め、そして、1979年(当時29歳)に特撮テレビ番組『円盤戦争バンキッド』の主人公役でデビューを果たしました。
しかし、その後は役に恵まれず、自分の目指す“大人のドラマ”のオーディションにも落ち続け、そのうち、アパートの家賃が払えず追い出され、一時期はホームレスのような生活を送っていたとか。
安藤サクラさんの父・奥田瑛二さんがそんなどん底の時に出会ったのが、今の奥さんで、1年経たずに結婚。
結婚しても仕事はなく、クビになりかけていた事務所に、毎月給料の前借をしにいく生活を送っていました。
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奥田瑛二さんはその事務所でたまたま手に取った台本を読み、「この主人公は自分がやるべき」と思い、すぐに手紙で監督に訴え、こうして主役が決まった時には、夫婦で飛び上がって喜んだそうです。
その映画『もっとしなやかに もっとしたたかに』で評価が上がり、次々と映画のオファーが入るようになり、俳優人生のスタートを切っています。
安藤サクラさんは5才の時に、父・奥田瑛二さんが出演する舞台『幕末太陽伝』を観て、「サクちゃん、あれになる!」と言っていたとか。
小学校の学芸会で安藤サクラさんが主演を務めた際には、奥田瑛二さんが演技指導をしており、熱が入り過ぎた奥田瑛二さんが「学芸会みたいな芝居してんじゃねえ」と怒鳴ったこともあったそうです。
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母親はエッセイスト
安藤サクラさんの母親・安藤和津さんは、東京都台東区の出身で、1948年3月6日生まれの現在75歳です。
母・安藤和津さんは誕生時、父親は51歳だったため、孫と祖父に間違われることが多かったとか。
安藤和津さんの母親は、実家の石材店が倒産したため、女学校を辞めて芸者をしていたそうで、後に料亭『をぎ乃』を始めています。
安藤和津さんは厳しく育てられ、友人と映画に出かけると知ると、友人の家に電話をして確認するほどだったとか。
安藤和津さんは、学習院初等科から高等科、上智大学文学部独文科を中退した後、イギリスに2年間留学しており、CNNのメインキャスターを務めています。
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1979年に奥田瑛二さんと同棲を経て結婚し、その後、1982年3月19日に長女、1986年2月16日に次女を出産しています。
安藤和津さんは、2人の娘には「何かを表現する人になってくれたらいいな」という期待があったとか。
娘の幼少期には毎晩のように自由に物語を作って遊んだそうで、長女は奇想天外なストーリーを考えるのが上手で、次女は声色を使い分けて役を演じるのが上手かったそうです。
安藤和津さんは実母の介護をきっかけに鬱病を13年間患い、後に治癒した体験をもとにした著述や講演を行っています。
安藤和津さんは現在、教育問題、自身の介護経験、「食」などをテーマにした講演会や、トークショー、コメンテーターなど多岐に渡って活動しています。
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安藤サクラさんが中学生の時、夫・奥田瑛二さんのスキャンダルが原因で学校でいじめられ、頭の側面を刈り上げて剃り込みをいれるなど、荒れた時期があったとか。
その時、母・安藤和津さんは、初めて安藤サクラさんの頬を叩いて叱ったそうです。
そんな安藤和津さんと安藤サクラさんは、時を越えて、偶然にも同じ広告に起用されています。
安藤和津さんは、1979年に『資生堂ベネフィーク』の広告に採用され、安藤サクラさんも2020年に同じ『ベネフィーク』の広告に起用されています。
安藤サクラさんはInstagramで1979年当時のポスターを公開し《なんと母も昔、資生堂のベネフィークの広告をやっていたという偶然!いいポスターだなあ》と綴っています。
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安藤サクラの兄弟は映画監督!?
安藤サクラさんには4つ上の姉がおり、名前は安藤桃子(あんどう・ももこ)さんです。
姉の安藤桃子さんは、東京都の出身で、1982年3月19日生まれの現在41歳、映画監督として活躍しています。
安藤桃子さんは、学習院初等科から高等科に進学し、高校時代からイギリスに留学し、ロンドン大学芸術大学を次席で卒業。
その後、ニューヨーク大学に進学して映画制作を学び、監督助手として働いていました。
姉の安藤桃子さんは、2010年に『カケラ』で監督・脚本デビューし、翌年、長編小説『0.5ミリ』を出版し、2014年に同作を安藤サクラさん主演で映画化しています。
この作品では「第18回 上海国際映画祭 アジアン・ニュータレントアワード部門」の最優秀監督賞と優秀脚本賞を受賞しています。
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同年3月14日に修行僧の一般男性と結婚しており、夫について「とても心強く、この人が一緒なら何があっても生き残れるかなと思いました」と述べています。
その後、ロケ地の高知を気に入ったからと高知市に移住し、同市内に映画館『ウィークエンドキネマM』をオープンして代表となり、『表現集団・桃子塾』の塾長も務めています。
安藤桃子さんは、2018年5月下旬に離婚しており、慰謝料などは発生しない円満離婚で、当時3歳だった長女を引き取っています。
安藤サクラさんは「私は生まれた時から姉の作品」と語っています。
私は生まれたときから姉の作品で、ずっと姉妹でその関係を生きるっていうか、それ自体が2人の作品だと言っていたけど、それはもしかしたら小学校高学年くらいの頃から自分が欲しいような妹にしようと操られていたかも知れませんね。
引用元:tst-movie.jp
安藤桃子さんも「操ってた。事細かに」と認めており、「弟が欲しかったら弟にするし、今日一日とかじゃなく何年もかけて。全て精神的コントロール」と明かしています。
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安藤サクラさんは姉から言われたら「とにかくやっとくか」という感じだったとか。
姉からこれを見ろ、これを聞けとか、髪を切れ、これを着ろ、これを買えとか。小さいときはお姫様とかフリフリしたものが好きだったんですけど、髪を切らされてからは、これを買えって言われたら「はい」って、地道にスケボーとかも練習しちゃったり。でも、やって悪いことはないし、やっとくかって感じでした。
引用元:tst-movie.jp
そんな姉の安藤桃子さんは、昔から安藤サクラのファンクラブ会長だといい、安藤サクラさんと「永遠に仕事がしたい」と語っています。
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安藤サクラの先祖は元内閣総理大臣?
安藤サクラさんの母方の先祖には、曾祖父に第29代内閣総理大臣の犬養毅(いぬかい・つよし)氏がいます。
母・安藤和津さんの父・犬養健(いぬかい・たける)氏は、犬養毅氏の三男になり、政治家で法務大臣を務めていました。
犬養毅氏は、1855年に備中国賀陽郡川入村(現・岡山県岡山市北区)で大庄屋の次男として生まれ、慶應義塾在学中には報知新聞記者として、西南戦争に従軍しています。
1890年に第1回衆議院議員選挙で当選し、以降42年間で18回連続当選という記録を打ち立てた人物です。
犬養毅氏は在任中、中国進歩党代表、立憲国民党総理、革新倶楽部代表、立憲政友会総裁、文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣などを歴任しています。
そして、犬養毅氏は1932年の『五・一五事件』で、武装した陸海軍の青年将校によって暗殺されています。
5月19日の犬養毅氏の葬儀には、たまたま来日し、事件当日は息子の犬養健氏と会食していた、イギリス出身の喜劇王チャーリー・チャップリンから寄せられた「憂国の大宰相・犬養毅閣下の永眠を謹んで哀悼す」の弔電が話題となったそうです。
★安藤サクラさんの旦那に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな安藤サクラさんを、引き続き注目していきたいと思います。