宮原知子の学歴経歴がスゴイ!英語が堪能で引退後は医学部へ進学!?

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宮原知子さんは、平昌オリンピック出場や全日本フィギュアスケート選手権4連覇の功績を持つ、優秀な選手です。

現在、北京オリンピック出場へ向けて、競技を連戦する宮原知子さんが、これまでにどんな経歴をお持ちなのか気になる人も多いと思います。

そこで今回の記事では、

・宮原知子の学歴経歴がスゴイ!
・宮原知子が英語が堪能な理由
・宮原知子は引退後は医学部へ進学⁉

の3つのポイントに沿って、宮原知子さんの学歴経歴を、ご紹介したいと思います。

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宮原知子の学歴経歴がスゴイ!


出典元:Pinterest

名前:宮原 知子(みやはら さとこ)
出身地:京都府京都市中京区
生年月日:1998年3月26日(23歳)
身長/体重:152㎝・42㎏
血液型:B型
最終学歴:関西大学文学部
所属:木下グループ

宮原知子さんの学歴と経歴を、詳しくご紹介したいと思います。

幼少期から小学時代


出典元:朝日新聞デジタル

宮原知子さんは、幼少期から小学2年生までは、ご両親の仕事の都合で、アメリカのテキサス州ヒューストンで過ごしてきました。

帰国後、京都市北区にある有名私立の、立命館小学校へ入学しています。

立命館小学校は、立命館高等学校までの12年間を、小中高一貫教育を行っており、倍率などは公表してませんが、人気の高い学校として知られています。

教育理念は「培根達支」としており、子ども達の「人生の根っこ」をしっかり鍛える人格形成教育を行っています。

宮原知子さんがスケートを始めたのは、アメリカに居た4歳の時で、ヒューストンにあるショッピングモールのスケートリンクで、両親に「やってみる?」と言われて滑ってみたら、とても楽しかったから続けてきたそうです。

5歳からスケート教室に通い、帰国後、京都に住み始めてからは、京都醍醐FSCの濱田美恵コーチの指導を受けてきました。

10歳の時に、宮原知子さんは、「全日本フィギュアスケート・ノービス選手権」のノービスB(9~10歳)で優勝した実績を残しています。

中学時代から高校時代

宮原知子さんは、立命館小学校を卒業後は、大阪府高槻市にある小中高一貫教育の有名私立の関西大学中等部入学し、関西大学高等部を卒業しています。

関西大学中等部の偏差値は42~52となっています。

立命館小学校に通っていた宮原知子さんは、そのまま一貫教育の立命館へ進学せずに、関西大学中等部へ受験し直したのか気になるところです。

関西大学中等部にはアイススケート部があり、大学と連携したアイスアリーナがあるからです。

後輩には、タレントでもある本田紗来さん、本田望結さん、本田真凛さんの姉妹がいます。

宮原知子さんは、中学の卒業式で、フィギュアスケートの功績を称えられ関西大学池内理事長より特別表彰を受けています。

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エスカレーターで関西大学高等部へ進学した宮原知子さんは、高校卒業時の論文で『五輪の魔物』をテーマに書いています。

そのテーマを選んだ理由は、

オリンピックはほかの試合とは違って、雰囲気が違ったり魔物がいるというのは有名な話なので、なぜそう言われるようになったのか、そういうものを感じないための対処法を知りたいと思いました

引用元:NumberWeb

と、話しています。

その結論は、魔物は「自分で作り出してしまうもの」で、周囲の影響を受けたり、自分でプレッシャーをかけることで、緊張や力みが「魔物」として現れるのではと、思っているそうです。

対処方法は、「普段通りに滑ること」が大切だと、客観的に自分自身を思い描いているそうです。

宮原知子さんの中学・高校時代の主な経歴をまとめました。

【2011-2012年】
・全日本フィギュアジュニア選手権大会 ジュニア優勝
・世界ジュニアフィギュアスケート選手権大会 4位
【2012-2013年】
・ISCジュニアグランプリ・レークプラシッド大会 優勝
・全日本フィギュアジュニア選手権 ジュニア優勝
・全日本選手権 3位

【2013-2014年】
・四大陸フィギュアスケート選手権 2位
【2014-2015年】
・CSロンバルディア杯 優勝
・全日本フィギュアスケート選手権大会 優勝
・四大陸フィギュアスケート選手権 2位
・世界フィギュアスケート選手権 銀メダル
【2015-2016年】
・CSUSクラシック杯 優勝
・グランプリシリーズNHK杯 優勝
・GPファイナル 銀メダル
・全日本選手権 優勝(2連覇)

大学時代から現在


出典元:関西大学

宮原知子さんは、高校卒業後、大阪府吹田市にある関西大学文学部へ進学しています。

関西大学文学部の偏差値は55~60となっており、卒業生には同じフィギュアスケートの高橋大輔さん織田信成さん町田樹さんらがいらっしゃいます。

2017年1月に宮原知子さんは、全治4週間の左股関節疲労骨折と診断され、四大陸選手権、冬季アジア大会、世界選手権を欠場しており、3月下旬から1か月間、国立スポーツ科学センターでリハビリを受けています。

宮原知子さんは、平昌オリンピックに向けて練習に集中するために、入学の翌年の2017年4月から大学を休学しており、木下グループと複数年の嘱託契約を結んでいます。

しかし、左股関節疲労骨折が順調に回復し、5月から練習を再開した宮原知子さんですが、左足捻挫、体調不良、右股関節の骨挫傷の発症などで、再びリンクを離れることになります。

漸く10月からジャンプの練習を再開し、11カ月振りにグランプリシリーズで復帰を遂げ、順調に成績を上げてきた宮原知子さんは、平昌オリンピック出場を果たし、4位の好成績を残していいます。

2018年4月には、関西大学2回生として復学しており、2019年には紀平梨花さんと共にコーセーのアンバサダー契約を結びました。

そして、2021年3月に関西大学を卒業し、現在に至ります。

宮原知子さんの大学時代の主な経歴をまとめました。

【2016-2017年】
・CSUSクラシック 優勝(2連覇)
・グランプリシリーズ NHK杯 2位
・GPファイナル 銀メダル
・全日本選手権 優勝(3連覇)
【2017-2018年】
・グランプリシリーズ スケートアメリカ 優勝

・全日本選手権 優勝(4連覇)*平昌オリンピック出場内定
・四大陸選手権 3位
・平昌オリンピック 個人&団体 4位
・世界選手権 3位
【2018-2019年】
・CSUSクラシック 優勝(3連覇)
・グランプリシリーズ スケートアメリカ 優勝
・全日本選手権 3位
・ババリアンオープン 優勝
【2019-2020年】
・CSUSクラシック 優勝(4連覇)
・グランプリシリーズ 中国杯 2位
【2020-2021年】
・全日本選手権 3位

宮原知子さんは、濱田美恵コーチから「今まで指導してきた選手の中で、一番努力家だ」と評価されています。

大人しく引っ込み思案な性格ですが、真面目で練習量も多く、黙々とずっと練習をするタイプで、学校が終わると、休みなく毎日リンクで練習に励んできたそうです。


平昌オリンピック前に怪我をした時は、絶望視された宮原知子さんですが、全日本選手権4連覇を達成し、平昌オリンピック出場を決めた時、濱田美恵コーチが次のようにコメントしています。

スケーティングしかできない状態でも、辛抱強くできることをずっとやり続けるすごさと言うのを見て、私も勉強になった。

引用元:Wikipedia

宮原知子さんは、メンタル面や思考能力がとても強い人なんだと、改めて関心させられました。

本当に素晴らしい選手ですね!

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宮原知子は英語がペラペラの理由


出典元:産経新聞

国際大会で表彰台に上ることが多い宮原知子さんは、海外でのインタビューでも英語で受け答えされています。

英語が話せる理由の一つとして、幼稚園と小学1年生の時の2年間を、アメリカで過ごした経験があります。

海外で過ごした経験は影響が大きく、耳が英語に慣れていたため、日本に帰国しても英語に対する抵抗感はなかったそうです。

宮原知子さんは、ちゃんと英語力がついたのは、日本に帰国してからだと言います。

海外での生活経験や異国での協議に出場することで、外国へ意識がよく向くようになったそうです。

そのため、小学4年生から英会話スクールに通い、そこから、英語のニュースを聞いて書き取りの訓練をすることで有名な、「茅ケ崎方式英語会」に入っています。

そこで、徹底的にリスニング力を鍛えることができたと言います。

宮原知子さんは小学5年生で、高校卒業レベルに匹敵する英検2級に合格しているので、そのレベルの高さが伺えますね。

更に、宮原知子さんは関西大学文学部の英米文学を専攻し、原文と日本語に翻訳されたものを比較して、色んなテーマ分析を重ね、「言語って奥深いな」と感じてきたそうです。

また、映画を見て英語表現を勉強することもあるそうです。

そんな宮原知子さんがTOEICの個人授業を受けようとしたら、先生に「あなたは授業を受けなくても800点は取れますよ」と言われたことがあるとか。

そして、宮原知子さんは、『宮原知子の英語術』という本も出版されています。


出典元:KADOKAWA

宮原知子さんの英語力を何かに使えないかと模索していた所、「本を作ったら面白そう」ということから、出版の企画が始まったそうです。

宮原知子さんが、実際に外国の人が使っていた言葉を、真似してるうちに使えるようになったという表現を、色々と載せてあるようです。

宮原知子さんが英語を勉強する根底には、「海外の選手ともっと話しがしたい」という思いがあるからだと言います。

元々寡黙な性格の宮原知子さんですが、失敗を恐れずに、英語で話しかけることを意識していたら、自分から英語で話しかけることに、抵抗がなくなってきたと言います。

英語もスケートも、失敗する事を前提にして、どんどんチャレンジすることが大切なのでしょうね!

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宮原知子は引退後は医学部へ進学希望?


出典元:サンスポ

両親が医師である環境に育った宮原知子さんは、フィギュアスケートを引退後は、スポーツドクターになる夢があると言います。

宮原知子さん自身が、怪我に苦しんだ時期があったからでしょうね。

宮原知子さん曰く、「陸上競技に詳しいスポーツドクターは沢山いるのですが、“靴を履いて氷の上を滑る”フィギュアスケートの、特殊な世界に長けているドクターは少ない」そうです。

スケーター出身のドクターが居れば、選手にしか分からない、微妙な足の使い方も分かっているので、スケート界に貢献できればいいな、という思いがあると言います。

宮原知子さんは、引退後は、海外留学をしたいという気持ちもあり、時間がかかっても、何らかの形で勉強をしなおしたいと、考えているとのことです。

宮原知子さんは、どんな事にも強い意志を持って取り組む姿が、とても素晴らしく、感心させられますね!

【2022年4月2日追記】

2022年4月1日に宮原知子さんは、「先日発表いたしました通り、現役引退を決意しました。」とし、現役引退を報告しています。

今後はプロスケーターとしてショーに出演する他、医学の道への夢は持ち続けていると話しています。

4月末からはカナダでのショーの出演も決まっており、プロスケーターとして世界での活躍が期待されます。

医学への道に関して宮原知子さんは、「どのような形で携わっていくかはこれから考えたいけど、勉強はしたい。色んな方法があると思うので探り中です。」とコメントしています。

20年の競技生活、本当にお疲れ様でした。

いかがでしたでしょうか?

今後も活躍が期待される宮原知子さんを、引き続き注目していきたいと思います。