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俳優、映画監督、コメディアン、声優として、幅広く活動するマルチな才能を持つ竹中直人さん。
竹中直人さんの特徴的な演技スタイルやユーモア、そして、独自の世界観が多くのファンに愛されています。
そんな竹中直人さんの妻・木之内みどりさんの現在や、子供の存在、彼の若い頃について、世間の人々が興味を示しています。
そこで今回の記事では、
・竹中直人の子供
・竹中直人の若い頃
の3つのポイントに沿って、竹中直人さんについて詳しくご紹介したいと思います。
竹中直人の嫁・木之内みどりの現在!

出典元:Pinterest
竹中直人さんのお嫁さんは、1970年代に活躍した、元アイドルで女優の木之内みどりさんです。
木之内みどりさんは、1978年に芸能界を引退しており、その後はメディアの前に殆ど姿を見せておらず、現在は専業主婦として穏やかな生活を送っているようです。
木之内みどりさんは北海道小樽市出身の67歳で、1990年(当時33歳)に竹中直人さんと結婚しました。
竹中直人さんと木之内みどりさんの出会いは、1989年のスペインで、竹中直人さんが劇団「青年座」の公演で滞在していた際に、偶然に出会ったそうです。
その後、知り合ったわずか3日後に、竹中直人さんがニューヨークでプロポーズし、結婚に至ったという、ロマンチックなエピソードがあります。
木之内みどりさんは以前、音楽プロデューサーの後藤利次さんと結婚していましたが、1987年に離婚し、竹中直人さんとの結婚は再婚でした。

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彼女は1974年に『めざめ』でデビューし、ドラマ『刑事犬カール』や映画『野球狂の詩』などで活躍した後、1978年に後藤利次さんとの交際を機に、21歳で芸能界を電撃引退しました。
その後、1983年に後藤利次さんと結婚するも、1987年に離婚しており、理由については後藤利次さんの浮気が原因だったという説があります。
特に、当時19歳だった堀ちえみさんとの関係が報じられ、これが離婚の決定的な要因になったと言われています。
離婚後、木之内みどりさんは写真学校に通い、カメラマンとして活動し、1990年に竹中直人さんと再婚しました。
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竹中直人の子供は何人いる?

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竹中直人さんと木之内みどりさんの間には、2人の子供がいます。
長男:竹中星夏(せいな)さん
竹中直人さんの長女・果南さんは、1992年生まれの今年33歳で、彼女は成城学園幼稚園から成城大学まで一貫教育を受けました。
大学卒業後は、大手広告代理店「電通」に勤務していたとの情報があり、また、2017年に結婚し、竹中直人さんは『徹子の部屋』でその喜びを語っていました。
また、果南さんには少なくとも子供が1人いて、彼女は実家の近くに住んでいるため、竹中直人さんは頻繁に孫の顔を見に行っているそうです。
竹中直人さんの長男・星夏さんは、1998年生まれの今年27歳で、彼は早稲田実業高校初等部から早稲田大学まで進学し、大学では劇団サークルに所属していました。
星夏さんが俳優として活動しているという噂がありますが、確定的な情報はなく、演劇に関心がある可能性はありますが、公式な俳優デビューの記録は確認できせん。
また、彼がアパレル業界で働いているとの情報もあります。
竹中直人さんは家族との時間を大切にしており、子供たちとの関係も良好と言われ、特に、果南さんとは映画を語りながら飲みに行くこともあるそうです。
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竹中直人の若い頃の軌跡をたどる

出典元:西スポWEB
竹中直人さんは、俳優・コメディアン・映画監督として唯一無二の存在感を放ち続けています。
そんな彼の若い頃はどんな軌跡を描いて来たのか、その歩みをたどりながら、竹中直人さんの魅力に迫ります。
【幼少期から学生時代】
竹中直人さんは1956年に神奈川県横浜市に生まれ、横浜市役所に勤務する地方公務員の両親のもと、一人息子として育ちました。
彼は幼少期は内気な性格でしたが、両親と共に足を運んだ映画鑑賞を通じて、表現の世界に興味を持つようになりました。
関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生から注目が集まるようになり、関東学院六浦高校在学中に自主映画制作を始めました。
高校卒業後、母親が肺結核で54歳で亡くなり父子家庭となり、彼は2浪して多摩美術大学に進学し、「映画演出研究会」に所属し、8㎜映画の制作に没頭し、監督から出演までこなしていました。
この頃、竹中直人さんは『首振り地蔵の怪』という短編映画を制作しましたが、作品を馬鹿にされたため「ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」と笑いながら怒ったところ、大爆笑が起こりました。
この出来事が、彼の代表的なネタ「笑いながら怒る人」の起源となり、40年以上なる十八番となりました。
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【芸能界デビュー】
竹中直人さんは1977年に『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」で、第19代チャンピオンに輝き、その後、『TVジョッキー』の素人参加コーナーで、モノマネ芸でチャンピオンになり注目されました。
大学卒業後、劇団青年座に入団し、本格的なキャリアをスタートさせ、1983年に『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナーでグランドチャンピオンとなり、コメディアンとしてデビューしました。
【俳優としての転機】
竹中直人さんは、1986年にNHK連続テレビ小説『はね駒』に出演し、俳優としての知名度を上げ、1987年の映画『マルサの女』ではその演技力が高く評価されました。

出典元:ナタリー
さらに、1991年の映画『無能の人』で主演・監督を務め、ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しました。
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【若い頃の印象的なエピソード】
・横山やすしさんが絶賛:『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナーで、グランドチャンピオンになった際、司会の横山やすしさんから「お前はすごい!」と絶賛されました。

このことが、竹中直人さんの芸能界での飛躍のきっかけとなったと言われています。
・人気女優の美保純さんとの交際:竹中直人さんは、1994年の映画『ロケーション』で美保純さんと共演し、交際に発展しました。

出典元:http://hurec.bz/
2人はラブラブな関係を公言していましたが、結婚には至らず破局しており、その理由は明かされていませんが、美保純さんの方から別れを告げたと言われています。
・漫画家志望だった少年時代:竹中直人さんは子供の頃は、俳優ではなく漫画家を目指していました。
手塚治虫の『ロック冒険記』に影響を受け、模写を繰り返していたそうで、さらに、『石ノ森章太郎のママンガ家入門』を購入し、本格的に漫画家を志していたという意外な過去があります。
竹中直人さんの若い頃は、芸人として才能を開花させ、俳優としても独自の道を切り開き、コメディアンとしてユニークな表現力を活かしながら、シリアスな演技にも挑戦して幅広いジャンルで活躍する俳優へと成長を遂げました。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうな竹中直人さんを、引き続き注目していきたいと思います。