*アフィリエイト広告を利用しています。
不祥事でドジャースを解雇された水原一平さんの代わりに、大谷翔平選手の通訳を務めているウィル・アイアトン通訳。
アイアトン通訳は、大谷翔平選手の会見でも冷静に対応し注目を集めています。
そんなアイアトン通訳はどんな経歴なのか気になる人が多いようです。
そこで今回の記事では、
・アイアトンのWBCと吉本
・アイアトンの父親
の3つのポイントに沿って、アイアトン通訳についてご紹介したいと思います。
アイアトン通訳の経歴が豪華!
ウィル・アイアトン通訳は東京都の出身で、フルネームは「ウィリアム・オーガスティン・アイアトン」といい、1988年12月21日生まれの現在35歳です。
アイアトン通訳の国籍はアメリカで、日系アメリカ人の父親とフィリピン人の母親を持つハーフで、15歳まで東京で育っているため日本語が堪能です。
10代後半でハワイへ移住したアイアトン通訳は、カリフォルニア州の学校で野球選手として成功を収め、その後、テキサス・レンジャーズやニューヨーク・ヤンキースでインターンとして勤務。
その後、東京でのマネージメント会社勤務を経て、2016年からは前田健太選手の通訳としてドジャースで働き始めました。
以来8年間、アイアトン通訳はチームスタッフとして、パフォーマンス・オペレーションのマネージャーを含む、様々な業務を歴任しています。
そして、2024年の開幕直後からは、違法賭博問題で球団から解雇された水原一平さんの代わりに、大谷翔平選手の担当として通訳業務を行っており、MLB屈指のスター選手のスポークスパーソンとなりました。
ドジャースのチーム関係者の間では「ウィル・ザ・スリル」の愛称で親しまれており、過去には選手を盛り上げるダグアウトでのダンスも編み出したそうです。
《広告の下にコンテンツが続きます》
アイアトンはWBC選手で吉本出身!?
ウィル・アイアトン通訳にはWBCの元フィリピン代表選手で、株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー社員という経歴があります。
アイアトン通訳はプロ野球選手を目指して渡米し、ハワイ州のミッド・パシフィック高校でレギュラーで投手やサードとして活躍していました。
高校卒業後、カリフォルニア州のオクシデンタル大学とメンロー大学へ進学し、2008年から2012年までの夏休みは、「サマーベースボールリーグ」に参加しています。
大学3年次には、スポーツ部の中で最も成績が高い学生に渡される「トップ・アカデミック・アスリート賞」を受賞。
4年次は、大学全スポーツ部の中で最も成績が高い学生に渡される「コリス・スチーア賞」を受賞するなど、文武両道に励んでいました。
さらに、アイアトン通訳は、メンロー大学卒業生の中で「最優秀賞」を受賞して卒業すると、2012年開催のWBCでフィリピン代表として出場しています。
その後、アイアトン通訳は2013年にテキサス・レンジャーズとマイナー契約し、傘下のヒッコリー・クロウダッズでプレーするも、1年で引退しています。
そして、2015年には株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーに入社し、芸人としてではなくスポーツマネジメント業務を担当していました。
吉本のスポーツマネジメント業務は、多くの大リーガー選手をサポートしており、アイアトン通訳は日米野球の架け橋的存在を担ってきました。
また、アイアトン通訳の兄であるマッシュー・アイアトン氏は、吉本USAのCEOを務めているとか。
これらの経験が、現在のドジャースでのアイアトン通訳の役割に大いに役立っているようですね。
《広告の下にコンテンツが続きます》
アイアトンの父親はワーナー代表?
アイアトン通訳の父親はウィリアム・アイアトンさんという方で、ワーナーエンターテイメントジャパン(現・ワーナーブラザーズジャパン)の元代表取締役社長でした。
父・ウィリアム・アイアトンさんは1955年に東京に生まれ、父親はアメリカ人で母親は日本人で日本で育っています。
1976年に上智大学を卒業すると、日本の映画会社の東宝東和で勤務した後、父親の会社を経て、1988年にワーナーブラザーズ映画の日本代表として入社しています。
2006年からはワーナーエンターテイメントジャパンの代表取締役社長に就任し、『マトリックス』3部作や『ハリーポッターシリーズ』、『ラストサムライ』、『硫黄島からの手紙』などの配給で、中心的役割を担っています。
2014年に退任した父のウィリアム・アイアトンさんは、自身の会社である「アイアトン・エンターテイメント」を立ち上げ、代表取締役に就任しています。
いかがでしたでしょうか?
今後も益々話題となりそうなアイアトン通訳を、引き続き注目していきたいと思います。