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「史上最悪の少年犯罪」と言われる、1989年に東京都足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件。
その犯人たちは当時未成年でありながら、その凶悪な犯行内容により社会的な関心を多く集めました。
そんな女子高生コンクリート事件の犯人の実名やその後の再犯、そして、彼らの現在の姿について、多くの人々が関心を示しています。
そこで今回の記事では、
・女子高校コンクリート事件の犯人の再犯
・女子高校コンクリート事件の犯人の現在
の3つのポイントに沿って、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人について、詳しくご紹介したいと思います。
女子高校コンクリート事件の犯人の実名は?
女子高生コンクリート事件の犯人の名前は当時未成年だったため、裁判所は身元を伏せていました。
しかし、『週刊文春』の記者らが、罪の重大さから匿名の権利は認められないとして、犯人の実名と身元を暴露して公表しています。
女子高生コンクリート事件の犯人の実名は、以下のとおりです。
犯人B:小倉譲(おぐら・じょう/当時17歳)足立区在住・無職
犯人C:湊伸治(みなと・しんじ/当時16歳)
犯人D:渡辺恭史(わたなべ・やすし/当時17歳)
犯人G:中村哲夫
犯人L: 伊原宏一
この事件に関わったのは、主犯格の宮野裕史、準主犯格の小倉譲、自宅が監禁場所となった湊伸治と兄の中村哲夫、監視役の渡辺恭史の他、当時16歳~18歳の少年たち7人です。
宮野裕史、小倉譲、湊伸治、渡辺恭史の4人は、足立区内の同じ中学校出身の先輩と後輩の関係で、中村哲夫と伊原宏一は宮野裕史に指示され強姦しました。
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最初の4人は1988年夏ごろに、それぞれ在学していた高校を中退し、足立区を根城とする暴力団組員の青年部組織を気取り「極青会」と名乗っていました。
彼らは、東京都足立区にある湊伸治の実家を溜り場として使い始め、1988年10月頃から窃盗、暴行、強姦など様々な犯罪に手を染めています。
そして、彼らは1988年11月25日に、通りがかりの見ず知らずの女子高生を、宮野裕史が強姦目的で連れ去り、41日間にわたり足立区綾瀬の湊伸治の自宅一室に監禁しました。
さらに、彼らは女子高生に対して連日に及ぶ強姦、顔面殴打、ライターで皮膚をあぶる、食事を与えないなど非道の限りを尽くした挙句、女子高生を殺害。
そして、彼女の遺体をドラム缶に入れてコンクリートを流し込み、東京都江東区の埋め立て地に遺棄しました。
その後、1988年12月に発生した別の婦女暴行事件やひったくり容疑で、既に逮捕されていた宮野裕史と小倉譲に余罪について取り調べたところ、女子高生の遺体を放棄したことを供述したため、事件が発覚しました。
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女子高校コンクリート事件の犯人はその後に再犯!?
女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人のうち、3人が再犯で逮捕されています。
1.宮野裕史(改名後:横山裕史):宮野裕史は2009年に出所後、2013年に振り込め詐欺事件で逮捕されましたが、不起訴処分になりました。
宮野裕史は、無作為に全国の個人宅に電話をかけ、『パチンコ必勝法』の情報料名目で現金を騙し取る、詐欺グループの一員と見られましたが、黙秘を貫き不起訴で釈放されました。
2.小倉譲(改名後:神作譲):小倉譲は1999年に出所後、2004年に拉致・監禁・暴行事件で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受け、2009年に2度目の出所をしました。
小倉譲は、「俺の女を取っただろう」と知人に因縁をつけて車のトランクに押し込み、母親が経営するスナックで5時間にわたって監禁し暴行を加え、逮捕監禁致傷で懲役4年の実刑判決を受けました。
3.湊伸治:湊伸治は2018年に殺人未遂容疑で逮捕され、懲役1年6ヶ月、保護観察付き執行猶予3年の判決を受けました。
湊伸治は2018年8月19日に埼玉県川口市で、32歳の男性の首を刃渡り8cmの折りたたみナイフで刺したとして、殺人未遂容疑で逮捕されました。
彼らは裁判で更生を誓い、被害者遺族に償いを科せられても、刑務所から出たら真逆の人生を歩んでいます。
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女子高校コンクリート事件の犯人の現在の姿に迫る!
女子高生コンクリート詰め殺人事件は、事件から30年以上が経過し、犯人たちは出所後も再犯を繰り返すものも居れば、行方不明になっているものもいます。
ここでは、女子高生コンクリート事件の犯人の現在の姿に迫ってみたいと思います。
1.宮野裕史:宮野裕史は2009年に出所後、養子縁組をして名前を横山裕史に変え、キックボクシングジムに通い、BMWを乗り回して高級腕時計やブランド品を身に付けていました。
彼は暴力団と繋がりがあると吹聴し、マルチ商法で儲けていましたが、周囲からあの事件の犯人であることが噂された直後に姿を消し、現在は行方不明となっています。
2.小倉譲:小倉譲は1999年に満期で出所後、保護観察関係者の女性と養子縁組を結び、神作譲に改名しています。
彼は受刑中にパソコンのスキルを学び、出所後はIT関連の仕事に就き、2000年12月に中国人女性と結婚しましたが、数年後に離婚しています。
その後、彼は職場で前科が知られ人間関係に行き詰まり退職した後、暴力団の構成員になっていました。
2004年の事件の出所後、小倉譲は埼玉県のアパートで一人暮らしを始めましたが、仕事もせず、生活保護に頼り、引きこもる日々を送っていたそうです。
そして、小倉譲は51歳だった2022年7月16日に、自宅で便器とタンクの間に頭が挟まり外れなくなり、嘔吐して倒れた状態のまま孤独死しています。
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3.湊伸治:湊伸治は出所後、都内にあるムエタイジムに通っていましたが、自分の過去がジムの仲間にバレていき、フェードアウトしたそうです。
その後、埼玉県川口市内のアパートで一人暮らしをしていましたが、いつも肩で風を切って歩き、周りを睨みつけて威嚇するなどし、近所では評判が悪かったとか。
湊伸治は後に外国人女性と結婚し、娘が1人いて、大阪に新居を構え、介護の資格を取得して福祉の仕事をしていたという噂や、関東でパチンコ店で働いていたという情報もあります。
ただ、彼は2018年に殺人未遂容疑で逮捕された際、独身・無職と報じられているため、現在は離婚している可能性が考えられます。
4.渡辺恭史:渡辺恭史は1996年に出所後、地元を離れ東京都内の1DKのアパートで母親と暮らしていましたが、彼は定職に就かず、6畳の部屋に鍵をかけて引きこもっていました。
その後、彼は脳がスポンジ状になる病気になり、治療する費用もなく、2021年5月に自宅で呼吸困難に陥り49歳で亡くなりました。
★女子高生コンクリート事件の被害者に関する記事は、こちらをご覧ください。
いかがでしたでしょうか?
以上、女子高生コンクリート事件の犯人について、ご紹介いたしました。