ラマル・ギービン・ラタナヤケの小学校と中学!父親兄弟も野球選手?

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中学通算50本塁打で投げても最速135キロと、愛知の怪物と呼ばれるラマル・ギービン・ラタナヤケ選手。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、中学卒業後の進路が、春の選抜高校野球で圧倒的な強さで優勝した大阪桐蔭高校に決まり、その活躍が期待されています。

そんなラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、これまでにどこで野球に励んできたのか、気になる人も多いと思います。

そこで今回の記事では、

・ラマル・ギービン・ラタナヤケの小学校・中学
・ラマル・ギービン・ラタナヤケの父親・兄弟

のポイントに沿って、ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手について、ご紹介したいと思います。

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ラマル・ギービン・ラタナヤケの小学校と中学!

ラマル・ギービン・ラタナヤケの出身小学校


出典元:Yahooニュース

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の出身小学校は、残念ながら公表されていませんでした。

後述する出身中学校の校区から、次の小学校が有力です。

・名古屋市立西福田小学校
・名古屋市立福田小学校
・名古屋市立福春小学校

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、名古屋生まれの名古屋育ちで、幼い頃から体は常に同じ年齢の子より、頭一つ抜けていて、食べる量も歴然の差があったそうです。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は友達に誘われて、小学4年生の夏から軟式少年野球チームの『プリンスジュニア港(みなと)』に所属し、本格的に野球を始めています。


出典元:プリンスジュニア港

プリンスジュニア港は、名古屋市港区を拠点とするチームです。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、初打席がランニングホームランで、記念すべき第1号本塁打となりました。

その後も、ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手はメキメキと頭角を現し、小学6年生の時には12本塁打を記録しています。

ラマル・ギービン・ラタナヤケの出身中学

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の出身中学は、愛知県名古屋市港区にある公立中学の、名古屋市立南陽中学校です。


出典元:スタディピア

名古屋市立南陽中学校は、港区の西部に位置しており、1947年(昭和22年)に海部郡南陽村立南陽中学校として、創立された歴史のある学校です。

その後、1955年(昭和30年)に現在の校名となりました。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、中学校の野球部には所属せず、地元の『愛知港ボーイズ』に所属しています。


出典元:Yahooニュース

愛知港ボーイズは、2016年2月に発足した、ボーイズリーグ愛知県中央支部所属のチームです。

三重県桑名市多度には、愛知港ボーイズ専用の「多度専用球場」があり、12名のコーチを揃え、野球に打ち込める環境が整っています。

監督を務める堀田将司さんは、U-15日本代表のコーチの経験もあり、また、卒団生の多くは、県内外の野球強豪校へ進学をしています。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、コロナ禍で思うように練習も試合もできない状況の中、自宅前での素振りやピッチングを欠かさなかったそうです。

中学3年の愛知港ボーイズの最後のシーズンも、全国大会出場を果たすことができず、卒団となりましたが、中学通算50本塁打、投手としても最速135キロの記録を残しています。

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進路は大阪桐蔭高校


出典元:NumberBunshun

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、中学2年の冬に、大阪桐蔭高校から推薦入学の打診を受けています。

いや、冗談でしょう!って自分が一番驚きました。でもすっごく嬉しかった」と、その時のことを振る返っています。

そして、2022年2月上旬に大阪桐蔭高校の入試を受けますが、同じく推薦を受ける生徒には、中学野球で全国に名を馳せた生徒の姿もありました。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、「受かったら、彼らと一緒に野球ができるだ」と興奮してしまい、入試問題が頭の中に入ってこなかったと言います。

合格通知を受け取ったラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、

英語が難しくて、結構焦りました。得意な数学で何とか…。合格と聞いて今はほっとしてます。楽しみです、甲子園のバッターボックス

引用元:NumberWeb

とコメントしています。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、4月から親元を離れて寮生活となります。

高校野球での目標は、「高校野球の記録を塗り替えるような選手になりたい」と、抱負を語っています。

名前:ラマル・ギービン・ラタナヤケ
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:2006年
身長/体重:180㎝・87㎏
利き腕:右投右打
ポジション:内野手
最高球速:135キロ
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ラマル・ギービン・ラタナヤケの父親兄弟も野球選手?

ラマル・ギービン・ラタナヤケの父親


出典元:NumberBunshun

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、生まれも育ちも名古屋ですが、両親はスリランカ人です。

父親の名前は、バンダーラ・ラタナヤケさんで、野球選手ではなく、高校時代にバレーボールのスリランカ代表に、選ばれた経験があります。

父・バンダーラさんは29年前に、留学生として日本に来ており、日本語学校から大学大学院へと進学しています。

また、アルバイトにも精を出し、真面目なバンダーラさんの姿を見て、新聞配達店の店主が、スリランカまでの飛行機代を出してくれたこともあるそうです。

父・バンダーラさんは、スリランカに戻って結婚し、妻と共に再び来日し、名古屋で就職をしています。

残念ながら、ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の母親の情報は、見つかりませんでした。

2006年に、体重3406gのラマル・ギービン・ラタナヤケ選手が、誕生しています。

ラマル』という名前には、スリランカの公用語の一つのシンハラ語で、『太陽に輝く男の子』という願いが込められています。

また、ミドルネームの『ギービン』は、『音楽を聴くのが好きな男の子』という意味で、実際、ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手は、「音楽は僕にとって大切な存在」と話しています。

バンダーラ・ラタナヤケさんは、2020年の情報によりますと、丸太運輸株式会社に在籍し、製造された鋼材などの出荷業務を担当しており、出荷に関する管理業務や玉掛作業業務などもするそうです。

前職は、合板製造加工の会社で、管理責任者として働いていたこともあると話しています。

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ラマル・ギービン・ラタナヤケの兄弟

高校野球で活躍する選手の多くは、兄弟も野球選手の場合が多いですね。

ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の兄弟はどうなのか、調べてみましたが、兄弟に関する情報は公表されていませんでした

今後、新しい情報が分かりましたら、お知らせしたいと思います。

★大阪桐蔭高校の西谷浩一監督に関する記事は、こちらをご覧下さい。

★大阪桐蔭高校のその他の選手に関する記事は、こちらをご覧下さい。

いかがでしたでしょうか?

今後も益々の活躍が期待されるラマル・ギービン・ラタナヤケ選手を、引き続き注目していきたいと思います。